ホーム>中日両国
japanese.china.org.cn | 07. 12. 2014

南京大虐殺生存者・常志強さん:「孤島」のような父

タグ: 生存者 常志強 南京大虐殺

1937年12月、日本軍が南京を攻撃した時、9歳だった常志強さんは、父と弟が日本軍に銃殺され、姉が強姦の上に殺され、みぞおちを刺された母が2歳の弟に最後の一口の乳を与えて死んだのを見た。常志強さんは驚愕の余り気を失い、生きながらえることになった。この経験は、常志強さんの人生を完全に変えてしまった。

南京市はそれほど大きくない。常志強さんが住んでいる燕子磯化工新村から、1937年に住んでいて日本軍の殺戮に遭った内橋王府園までは、車で30分ほどの16kmしかない。だが常志強さんの4人の子どもはこの歴史をよくは知らず、どこで起こったのかもはっきり知らない。

戦争が常志強さんに残したのが痛みだったとすれば、この家庭に残したのは「タブー」だった。

「私たちの家では清明節(日本の盆にあたる4月初旬の行事)を祝ったことがない。ほかの人が紙を焼いて先祖をまつっているのを見て、家の子どもたちは珍しがっていた。小さい頃は、私にはなぜ父方の祖父母がいないのか疑問に思ったこともあるが、父の顔色が暗くなるのがわかって聞くことができなかった」。一番年下の妹である常小梅さんは、兄や姉と同様、「日本の鬼に一家7人を殺された」ということは知ったが、そのほかのことは何も知らない。

だが常志強さんは、自らの体験を誰かに話そうとしたことがなかったわけではない。心の底に秘めたこの記憶を語ろうとしたのは1949年のことだった。当時勤めていた職場の上司に話し始め、半ばまで話したが、続けることができなくなった。その後、口を開くことはなくなった。

1   2   次へ  


 

コメント

コメント
名前
最新コメント (0)