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japanese.china.org.cn | 07. 12. 2014

南京大虐殺生存者・常志強さん:「孤島」のような父

タグ: 生存者 常志強 南京大虐殺

 

子どもたちから見ると、父親としての常志強さんは「有能」で「適格」だという。「字は特にきれいで、絵も上手で、料理もうまい。弟や妹が誕生日の時には、ネズミやウサギの形をしたマントウを作り、蒸して食べさせてくれた。父はいつも穏やかで、勉強も辛抱強く教えてくれた」。一番上の姉である常明泉さんによると、父が学業を重んじたため、兄妹も勉強好きとなり、2人は大学まで行った。

だが父の精神世界について子どもたちは深くは知らない。「私も50歳を過ぎて、父の苦しみが少しはわかるようになった。父は誰に対しても親切だが、親しい人はおらず、友だちもいない。まるで孤島のようだ」と常小梅さんは語る。

「小さい時は聞くのが怖かった。大人になって事情を知るようになってからは気の毒で聞けなくなった。もしも父が忘れようとしても忘れられないのなら、私たちも思い出させるようなことはするべきでないと思った」。常明泉さんによると、取材を受けたり証言を録音したりした後、常志強さんは何日も寝込んでしまう。子どもたちはそのことを話題にはしなくなり、父の苦しみが和らぐのを沈黙で助けるようになった。

1982年、日本による教科書改ざんに抗議の声が高まると、南京では史料の編集や記念館の建設、記念碑の建造が始まった。1985年に竣工した南京大虐殺記念館は、多くの生存者たちの魂の故郷となった。常志強さんも、記念館のおかげで家族をまつる場所を見つけた一人だ。だがいつもは一人で記念館を訪れ、たまに付き添うのは妻だけ。毎年12月13日になると、家族の名が刻まれた壁の前に生花を捧げているという。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年12月7日

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