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japanese.china.org.cn | 10. 12. 2014

元慰安婦、慰安所旧跡を再訪 広西チワン族自治区

タグ: 慰安婦 慰安所 旧跡

 

比類なき屈辱の記憶を背負い、苦しみの一生を歩んだ広西チワン族自治区荔浦県新坪鎮広福村城里屯の何玉珍さんが、2014年11月26日にこの世を去った。

何さんはかつて、「馬嶺沙子嶺慰安所」で慰安婦にされた。彼女と同じ経験を持つ人は、知る限り現在は新坪鎮桂東村小古告屯の韋紹宝さんだけである。彼女も血の涙を流し訴える中、徐々に年老いている。

記者は12月2日に小古告屯を訪れ、韋さんを取材した。

韋さんの家は小古告屯の道路側にあった。老朽化の進んだ土の家は薄暗く、ビニールを張った窓から隙間風が吹き込む。韋さんは身を縮め、蜘蛛の巣だらけの天井の下に座り、静かに外を見つめていた。一言も口にしない様子は彫像のようで、訪問者の問いかけを待っているように見えた。

70年前の屈辱的な過去は辛く振り返るに忍びないが、韋さんは今回だけは記者に伝えてくれた。彼女は、「あの場所」に行ってみたいと言った。馬嶺鎮徳安村沙子嶺屯で、現地人に「五空頭」と呼ばれている建物は、広西チワン族自治区全体で唯一確認されている慰安所の旧跡だ。

1944年の冬の日、20歳の韋さんは身を隠していた洞穴から出てきて豚にエサをやろうとした時に、旧日本軍に捕まった。彼女は日本人の車で見知らぬ場所に連れて行かれ、狭い土とれんがの建物に閉じ込められ、3ヶ月も苦しめられた。この悪夢のような過去は今でも彼女の頭に蘇り、窒息しそうなほどの悲痛を与える。

70年がたっても、この場所は元の様子を留めている。

このあまりに多くの屈辱の記憶が残っている建物の外に立った韋さんは、足取りがおぼつかなかったが、支えようとした人の手を借りようとしなかった。ほこりまみれの壁を触り、彼女はゆっくりと蜘蛛の巣だらけの部屋に入り、ぼろぼろになった木のドアをそっと閉めた。彼女はドアの穴から外を凝視し、苦しく当惑したような表情を浮かべた。

数分もたたないうちに、韋さんは急に心身ともに疲れ、「帰ろう」と言った。彼女はおぼつかない足取りで、振り向くこともなく去っていた。

帰宅する途中、何さんの家を通りかかった。韋さんは、行ってみようと言った。何さんのがらんとした家の中には、一つのテーブルと一枚の孤独な遺影しかなかった。韋さんはしばらく静かに注視してから、決然とその場を後にした。時の流れが刻まれた顔からは、悲しみも痛みも見て取れなかった。

韋さんの寂しい後ろ姿の遠くで、慰安所の旧跡が人々に時の流れを示していた。韋さんのような生き証人の生命の灯火は、時間の流れとともに弱まろうとしている。彼女が亡くなれば、忘れることのできない歴史を自ら語る人がいなくなるだろう。

幸いにして、現地の関連部門はこの旧跡に記念館を建設し、これを永久の歴史の警鐘にしようとしている。

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