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japanese.china.org.cn | 13. 12. 2014 |
1937年当時、楊翠英さんは小学4年生の12歳だった。楊さんと両親は、日本軍が南京を占領する前に、大方巷の難民収容所に隠れた。だが12月14日昼、一家が身を隠していた収容所に日本兵が突っ込んできて、父とおじは捕虜として連れ去られ、二度と戻って来なかった。楊翠英さんは髪を剃り、顔に灰を塗って生き延びたという。
写真右上:楊さんの南京の家で
写真左上:家族を供養するために紙銭「銀元宝」を折る
写真左中:当時を思い出すと悲しみが止まらない
写真左下:娘に付き添われ、犠牲となった家族の供養に記念館を訪れた
写真下中:「嘆きの壁」には父・楊学文とおじ・楊賢営の名が刻まれている
写真右下:南京傅佐路12号で当時家族と避難した場所を指差す楊さん
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