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japanese.china.org.cn | 13. 12. 2014 |
陳広順さんは1937年当時、14歳で、南京郊外の湯山西崗頭村に住んでいた。翌1938年の春節、日本軍が西崗頭村に食べ物を探しにやって来た。陳広順さんはほかの村民とともに、村に襲来した日本軍に小学校の校庭に集められた。陳さんは逃げ出して命を取り留めたが、村では35人が犠牲となった。その中には3番目の兄の陳広寿さんも含まれていた。
写真右上:九死に一生を得た当時の経緯を語る陳さん
写真左上:娘の陳錫紅さんと家の中庭で
写真左中:庭の前の道でくつろぐ陳さん
写真左下:南京大虐殺生存者証書を見せる
写真下中:西崗頭村の犠牲同胞記念碑の前に立つ娘の陳錫紅さん。2006年、35人の犠牲者が葬られた地に村民が自ら建てた記念碑だ。
写真右下:バルコニーから外を眺める陳広順さん
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