「朝日新聞」の報道によると、東芝は現地時間20日、東京証券取引所への上場が廃止となり、1949年からの74年の上場の歴史に幕を下ろした。
「トーシバ、トーシバ、新時代の東芝」という広告は、1980年代に中国を風靡した。創業1875年の東芝はかつて「日本の光」とされた。家電、電気製品、半導体、エネルギー、インフラなどの分野を跨ぐ巨大なビジネス帝国を作り上げた。
東芝は100年以上の歩みにおいて数多くの「初」を樹立した。例えば日本初の電球、初の洗濯機、初の冷蔵庫、初のテレビ、初の炊飯器などだ。世界初のノートPCも東芝が研究開発し、世界一の市場シェアを7年も保った。1980年代前半に日本の半導体の技術と生産能力が飛躍的に向上し、一挙に米国を抜き世界最大の半導体供給国となった。
ところが経営不振や不正会計など一連の問題により、かつての製造業大手が次々と敗退し、上場廃止に至った。
中国国際問題研究院アジア太平洋研究所客員研究員の項昊宇氏は取材で、「東芝の上場廃止は輝かしかった日本製造業の苦境の縮図だ。主な原因は、日本企業のガバナンス及びリスク管理や、市場の変化に対応するための能力の不足だ」と述べた。
東芝の衰退はまず経営不振が原因で、長期的に赤字が続いた。特に2015年に不正会計が明るみに出ると、企業の信頼とイメージが失墜し、経営状況が持続的に悪化し、債務超過の苦境に陥った。
外部の環境を見ると、90年代前半のバブル崩壊後に日本経済が長期低迷に陥り、国内市場の需要が減少した。韓国や中国などの新興エコノミーがチップ、半導体、電子、白物家電産業などの面で次々と台頭し、東芝の有力分野に直接衝撃を及ぼした。東芝製品は国際競争で敗退を続けた。東芝の企業改革及びイノベーションの能力が不足し、国内外の環境の激しい変化に適応できなかった。
東芝の問題は日本全体の産業において一定の普遍性を持つ。日本企業は前世紀の高度経済成長期に独特な企業文化と制度を形成したが、これはもはやインターネット時代の需要に適応できなくなった。しかし多くの日本企業の考え方は依然として保守的で膠着しており、国内外市場の変化に基づき速やかに経営方針を調整できていない。しかも日本の多くの有名企業から最近、不正会計や管理問題などが次々と明るみに出ている。「メイド・イン・ジャパン」のブランドイメージと投資家の自信が損なわれている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2023年12月21日