日本製鉄が今年8月に20年の契約期限を迎えた後、宝山鋼鉄(宝鋼)との中国合弁事業を解消するという情報は、中国と日本のメディアから注目を浴びた。双方の協力が、1970年代以降の中日経済協力を象徴する事業であることから、一部の日本メディアは歴史的な解釈を試み、「日中経済協力の転換点になるだろう」と伝えた。
日本製鉄の今回の合弁解消は自動車向け鋼板で、食品容器用鋼板が残ることに注意が必要だ。毎年の鋼材の生産能力は100万トン以上で、今後の中国での新たな事業展開に向け十分な基礎を残している。客観的に見ると、一部解消は日本製鉄による市場の状況と事業内容の変化に基づく調整で、確かに産業及び時代の発展の歴史的な色合いを帯びているが、中日経済協力の「転換点」などでは決してない。
一部の報道で整理されているように、日本製鉄と宝鋼の協力は、中国が1978年に改革開放を始めた後の中日経済協力を象徴する事業だ。日本製鉄の技術支援を受け、1985年に宝鋼1期が完成し、稼働開始し、その後徐々に発展・成長した。日本製鉄は2004年に宝鋼と自動車向け鋼板の合弁会社を設立した。これは宝鋼プロジェクトから派生した成果とされ、かつ日本製鉄が中国市場の沃土をさらに深耕するため支援力を発揮した。この合弁会社はその後長年に渡り、在中国日本自動車メーカーの中心的なサプライヤーになった。全体的に見ると、1962年に始まったLT貿易(「中日長期総合貿易に関する覚書」)は戦後の中日経済交流の扉を開き、宝鋼などの一連の事業は1970年代以降の中日経済協力及びウィンウィンのさらなる強化を象徴するものだ。
宝鋼プロジェクトは中日友好の歴史の証人とも呼べる。日本製鉄君津製鉄所には、鄧小平が1978年に視察した際に残した、「中日友好協力の道はますます広がる」の書が保管されている。当時は日本製鉄を中心とし、関連企業を含め1万人以上の従業員が中国に派遣された。日本人作家の山崎豊子は同事業を題材とし、長編小説「大地の子」を執筆し、当時の日本でセンセーションを起こした。この作品はその後、NHKと中国中央電視台の合作ドラマとなり、大好評を博し何度も再放送された。
電気自動車(EV)事業に力を入れる中国企業は近年、国際市場で高い競争力をつけた。一部の日本企業の中国における戦略調整は主に、産業発展の自然な「新陳代謝」だ。挑戦は残されているが、チャンスはより多い。中日経済協力の互恵・ウィンウィンの特徴と未来図は依然として顕著だ。
中日両国の貿易額は2023年にも3346億ドルという高い数値を維持した。在中国日本企業も3万1000社で、日本の対中直接投資残高は1300億ドルの規模を保っている。日本の対中投資収益率も18%前後を維持しており、対米投資の2倍にのぼっている。同じく重要なことだが、両国企業は産業チェーン・サプライチェーンの各重要部分で相互補完の大きな強みを保っている。半導体やバッテリーなどでもそうで、日本の自動車大手が中国の科学技術イノベーション企業と事業提携し、スマートカーの研究開発を加速していることがその証拠だ。
日本製鉄の限定的な合弁解消により中日経済協力を悲観することはできない。これは国際経済及び産業構造の急速な変化において、各国及び各分野の企業がスムーズに調整する必要があることを証明するに過ぎない。この調整において、対外協力によりウィンウィンを目指すことによる利益は常に弊害を上回る。(筆者・南開大学近現代史研究センター教授、日本研究院副院長)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2024年7月26日