日本で学び、教えるようになり30年以上になる。近年は大学生と院生に比較政治学と国際政治を教えている。アジアや世界について論じるが、「中国」「日本」「中日関係」から観察の目が離れたことはない。この30年以上に渡り、筆者は「中国」が日本メディアの視界の周辺から中央に移るのを目の当たりにした。
日本に来たばかりの頃、日本メディアが中国を報じることはめったになく、店でも中国製品を目にすることが珍しかった。しかし「中国」はその後、日増しに日本メディアの中心的な話題になった。専門家は2010年に日本メディアで、「中米対抗の枠組み下における日本の決断」について広く議論を始めた。日本メディアが中国と米国を同列に論じたのはこれが初めてのようで、さらに「中国との連携」を論じ始める人もいた。
筆者が先ほど教室で「中国は先進国か」と質問すると、学生の半数は「はい」と答え、残りの半数は答えなかった。彼らは、中国は「多様性に富む国」と述べた。今日は情報が日増しに発達し、日本の若い世代は中国に関する知識を取得するより多くの方法と手段を持つ。彼らの中国への印象はより楽観的で明るい。
中国の今年の国慶節連休中、日本の各都市で中国の若い観光客の姿を見ることができた。2020年より前の訪日中国人客は主に団体旅行に熱心な「中国のおばさん」だったが、今や主力軍はフリープランの若い世代という興味深い説がある。10年以上前の海外での「爆買い」のイメージと異なり、これらの中国の若い観光客はより大衆的になっている。つまり料理を食べ、温泉を満喫し、名所を散策するということだ。今年上半期の訪日中国人客は306万8000人で、19年の水準に近づいているが、中日民間交流の状態はおおむね「来ても余り行かない」と言える。つまり多くの中国人客が日本に来るが、日本の訪中客数は過去最高の水準に遠く及ばない。
経済・貿易は中日関係の「バラスト」という説があったが、22年と23年には両国の二国間貿易額が持続的に減少した。ところが中国の経済政策は新たな情勢に適応するため調整中で、同時に技術革命もスムーズに発展している。この時期に中国市場から撤退した日本企業は、間違った決定を下したかもしれない。現在の中日両国の発展は、高齢化、産業チェーンのリスク、米国の地政学的リスクといった多くの共通する課題に直面している。この特殊な時期に両国が深い協力を強化できれば、本来ならばウィンウィンの実現が可能だ。
中国は2010年にGDPで日本を抜いた。日本社会では当時、日本は将来的に中国と米国のどちらにつくのかという声が上がった。中日関係はその後、一部の曲折を経た。多くの日本メディアは「中国包囲網」を取り上げ始め、一部の日本の政治関係者はいわゆる「価値観外交」を唱えた。現実主義的な国際政治学の見地によれば、「価値観外交」に意義はないが、今日の日本の外交政策は確かにこのイデオロギーの傾向を反映しており、遺憾だ。例えば中国の周辺には、日本が参加する中国に矛先を向けた「小グループ」と「小集団」がある。日本が「小グループ」に熱心な理由については、メディアによって諸説ある。何はともあれ、この敵を作る外交は国家間の戦略的な相互不信、さらには対抗を引き起こす可能性があるだけでなく、自国の利益にも合わない。
中日両国のメディアは現在、相手国に冷淡な態度を示しているが、両国の民間交流にはかつて蜜月期があった。例えば40年前には日本の3000人の若者が中国に招待された。当時訪中した日本の若者は今日も多くが健在だ。今日の中日の若者は、両国がかつて多くの緊密な民間交流を持っていたことを知るべきだ。過去を振り返るのは未来を築くためだ。どのような未来を築くべきかについては、筆者の研究室のドアをノックした日本の女性が知っているかもしれない。
新学期早々、ある女子学生が私の研究室のドアを叩いた。彼女は終えたばかりの中国初旅行について語った。その目は透き通り輝き、喜びに満ち溢れていた。彼女の専攻は中国語で、中国と関わる仕事をするのが夢だ。彼女は私に中国旅行を薦めてもらったことを感謝し、私も彼女に感謝した。一部の日本の経営者と学者が訪中をためらう中、この日本の女性は楽しく中国の旅を終えることができたからだ。現在の中日関係はこれまでの流れを受け継ぎ、進まなければ後退するという重要な段階を迎えている。このような若者がいることは幸運だ。
筆者は36年前に趙樸初氏を訪問した事がある。趙氏は筆者のノートに自作の漢俳「雖一衣带水、却隔千層霧」を記した。当時の筆者は「千層霧」とは言葉を美しく飾っただけと思ったが、今日ではその深い意味に感じ入っている。
(筆者=劉迪・杏林大学総合政策学部教授)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2024年9月30日