軍国主義が戦後日本に残ったもう一つの理由は、閉鎖的な社会環境にある。
明治維新後、日本は全面的な西洋化を提唱したにもかかわらず、一般大衆は依然として島国の閉鎖的な社会環境の中で生活し、軍国主義的傾向の教科書や軍国主義者に操られたメディアを通じてしか世界を知ることができなかった。さらに遺憾なことに、戦後日本の改革はこの閉鎖的な環境を根本的に打破することはなかった。
戦後日本は形式上、多元的なメディアと教育システムを確立したが、世論を握り認識を形成しているのは依然として戦前の権力者であり、その中には牢獄から出た戦犯も少なくなかった。歴史教科書の審議会は事実を削除・改ざんし、戦争を美化することによって、若い世代が侵略の歴史を認識するための道を遮ろうとし続けた。
軍国主義の残党が大衆メディアに浸透し、支配する状況は驚くべきものだった。最も典型的な例は当時の読売新聞社社長の正力松太郎だ。この旧警察官僚は、A級戦犯の容疑者に指定された人物で、再び自由を得た後すぐに世論の掌握に動き出し、巨大なメディア帝国を利用して保守主義プロセスを推し進め、社会の世論を巧妙に「右」に導いた。精巧に作られた「情報の繭」の中で、一般大衆は歴史を反省する多角的な視点を得ることが困難であり、意図的に誘導された世論の雰囲気の中で軍国主義の歴史観に侵食され続けるしかなかった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2025年12月5日
|
|
![]() |