「彼らはマルタ(丸太)ではありません。一人ひとりに名前があり、家族がいました。歴史研究とは、事実を記録するだけでなく、亡くなった人々に“人間としての尊厳”を取り戻させる営みでもあるのです」
第二次世界大戦中、日本軍が行った人体実験と細菌戦は、人類史上で最も暗い戦争犯罪の一つとして知られています。中国の歴史学者・楊彦君(よう・げんくん)教授(46)は、この重いテーマと20年以上にわたり向き合ってきました。
戦後80年となる2025年7月、楊教授は35万字に及ぶ学術書『731:医学的沦陷(医学の陥落)』(中華書局)を出版しました。
本書は、侵華日軍第七三一部隊(731部隊)が関与した人体実験と細菌戦の全体像を、米国やロシアで近年公開された一次史料をもとに、体系的に検証したものです。
黒竜江省出身の楊教授は、現在、上海交通大学人文学院の教授(研究員)であり、同大学「戦争裁判与世界和平研究院」の専任研究員であるとともに、「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」の特聘研究員も務めています。
本稿・前編では、新刊『731:医学の陥落』の執筆を通じて明らかになった史実や、長年にわたる被害者遺族との交流の中で楊教授が感じたことについて、お話を伺いました。
■1)『731:医学の陥落』 人体実験被害者に捧げる本
――731部隊の歴史に初めて触れたのはいつですか。
私は1999年に黒竜江大学の歴史学部に進学しました。入学後の軍事訓練(サマーキャンプ)で、大学から徒歩で20キロを歩いたのですが、その目的地がハルビン郊外の731部隊本部跡地で、初めてその場所を訪れました。
そして、侵華日軍第731部隊罪証陳列館には2005年に行きました。黄色く変色した記録文書に記された一人ひとりの名前が、まるで声なき叫びのように心にささり、私のその後の人生を変えました。
――『731:医学の陥落』は、どのような思いで執筆されたのですか。
この本は、先行研究に新たな考察を加え、整理したものです。731部隊による医学犯罪が組織的・体系的に行われたものであり、軍・学・官・産が結びついた国家犯罪であったという特徴を明らかにしています。
執筆にあたっては、フィールドワークを基礎に、数万ページに及ぶ英語・日本語の資料を調査し、遺族など関係者への聞き取りを重ねました。それは彼らにつらい記憶を思い出させる行為でもありましたが、同時に人体実験の被害者たちの名誉を回復する取り組みでもありました。
私は、731部隊によって「マルタ(丸太)」と呼ばれた人々を、国家レベルで認められる「抗日烈士」として位置づけ直しました。被害者という立場から、抵抗者という立場へと転換させ、その生い立ちに焦点を当てて、掘り下げようと思ったのです。
本書を、非業の死を遂げた人体実験の被害者たちに捧げ、彼らの魂が安らかであることを祈りたいです。彼らは「マルタ」でも「ノミ」でも、「荷物」でもありません。一人ひとりに名前があり、家族がいました。彼らは英雄であり、抗日烈士であり、後世に永く追悼されるべき人々なのです。
■2)今につながる歴史、癒えない傷
――研究の中で被害者遺族と関わり、印象に残っていることは?
研究の過程で、私は数十人に及ぶ人体実験被害者の遺族と接してきました。彼らの語る言葉、流す涙、そして痛ましい経験に、強烈な衝撃を受けました。彼らの中では、戦争はまだ終わっておらず、トラウマは今なお癒えていません。
2023年10月26日に亡くなった李鳳琴さんは、遺腹の子(父の死後に生まれた子)でした。65歳の時に初めて、自分の父・李鵬閣氏——無線で情報を送る任務に就いていた抗日志士——が731部隊の人体実験で命を落としたことを知ったのです。一次資料によれば、李鵬閣氏は1941年7月28日に「特移扱(特殊移送扱い)」として、731部隊に送られました。その時、李鳳琴さんはまだ生まれていませんでした。
私は、李鳳琴さんが731部隊細菌実験室跡地を訪れた時の様子を忘れることができません。彼女は長い間、うつむいたまま動きませんでした。私が様子を見ようと近づくと、彼女は私の足音に気づき、ゆっくりと顔を上げました。その顔は涙で濡れていました。そして嗚咽しながら、こう語ったのです。
「私は一度も父に会ったことがありません。父は当時25歳でした。ここで、どれほど非人道的な拷問を受けたのでしょうか」
2012年、私は調査内容に基づいて、李鵬閣氏の抗日活動と被害の事実を説明する書類をまとめました。これが認められ、李鵬閣氏は抗日烈士として認定されました。この時に初めて、731部隊に関する研究は、歴史を今につなげる力を持つのだと実感しました。
――「特移扱」とは?
「特移扱(特殊移送扱い)」というのは、関東憲兵隊内部で用いられた専門用語です。関東憲兵隊や警察署、保安局、特務機関などが逮捕した、偽満州国に反対し抗日活動を行う者を、秘密裏に731部隊へ移送する特殊措置を指します。
日本の「軍・警・憲・特」によって特殊移送された中国人、ソ連人、朝鮮人は、「荷物」や「マルタ」と蔑称され、逮捕、尋問、拷問、移送、収監、実験、解剖、死体焼却という残酷な過程をたどりました。大多数は生物実験室、病理解剖室、野外実験場で亡くなり、一部は731部隊の撤退直前に集団虐殺されました。
「特移扱」は、731部隊における人体実験被験者の主要な供給源であり、人体実験犯罪の証拠連鎖において極めて重要な要素です。
「特移扱」の記録文書には、憲兵隊が被害者を撮影した写真が含まれるものもあり、それらは資料と共に保存され、憲兵隊と731部隊の秘密裏の結託を示す犯罪証拠となっています。
――「特移扱」を受けた人数と、人体実験被害者の総数は?
「特移扱」の事実認定については、長い間、物的証拠が不足していたため、加害当事者の口述証言に依拠するしかありませんでした。しかし1997年10月、黒竜江省の檔案館(公文書館)で「特移扱」に関する一次文書が発見され、秘密裏の移送過程が初めて明らかになりました。
関東憲兵隊司令部およびその下部組織の各級憲兵隊、憲兵分隊、憲兵分遣隊が特殊移送の主な実行者であり、「偽満洲国」の各級警察署、保安局、特務機関も積極的に関与していました。1997年以降、黒竜江省と吉林省の檔案館が、「特移扱」に関する計1695ページに及ぶ資料を公開し、そこには317人の人体実験被害者の情報が記載されています。
人体実験の被害者総数については、731部隊の川島清少将(総務部長、第一部長、第二部長、第四部長などを歴任)がハバロフスク裁判で次のように供述しています。
「1940年より1945年に至る間に、この殺人工場内で殺人細菌に感染せしめられて殺害された者の数は、少なくとも3000名に達しました。1940年以前の志望者数は知りません」
また、瀋陽で軍事裁判を受けた関東憲兵隊の吉房虎雄中佐は、書籍『侵略―中国における日本戦犯の告白』(1958年、新読書社)の中で、「1937年以来、約9年のあいだに、石井部隊(731部隊)で虐殺された愛国者の数は少なくとも4000名におよんでいる」と証言している。
――被害者遺族たちのことは、どうやって探し当てたのでしょうか。
近年、「特移扱」記録に記載された情報をもとに、中国の研究者である韓暁氏、張志強氏、楊玉林氏らが継続的に調査を行い、これまでに被害者16人の遺族や関係者を探し当てました。李鳳琴さんもその一人です。
16人に関する彼らの証言は、口述資料として侵華日軍第731部隊罪証陳列館新館の「特移扱と人体実験」展示コーナーに収められています。
しかし、それ以外のほとんどの被害者は「秘密裏に処分」され、いかなる記録も残されておらず、遺族を見つける手段もありません。さらに遺憾なのは、「特移扱」の一次記録が存在しても、経年劣化により判読が困難であったり、人為的な欠損があったりすることです。そのため、731部隊に命を奪われた多くの無念の魂は、永遠に安らぎを得られないかもしれないのです。
「中国国際放送局日本語版」2025年12月26日
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