80年の歳月を経て振り返る極東国際軍事裁判(東京裁判)。白黒の映像資料に残された検事の立証、証人の嘆息、裁判官の結審陳述は遠い記憶のようだが、歴史の真実が色褪せることは決してない。時の埃を払えば、今なお正義のために立ち上がった人々の姿が見え、その力強い証言が聞こえてくる。「環球時報」が伝えた。
「5月3日金曜日――東京裁判初公判。法廷の明るい照明の下、被告席の者どもは見るも無様だった」これは1946年、米国のサットン検事補の日記に記された光景だ。
侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の研究員で、国家記憶と国際平和研究院の研究者でもある張国松氏は「環球時報」の取材に対し、サットンは第二次世界大戦後に極東国際軍事裁判の検事補として招かれ、東京裁判において中国戦線での日本軍の罪の調査・証拠収集を担う中心人物の一人だったと説明した。サットンは国際検察局のチームに随行し中国を二度訪れ、南京大虐殺および日本軍の対中経済侵略や麻薬取引などの戦争犯罪を重点的に調査した。その足跡は上海、北平(現在の北京)、重慶、南京などに及んだ。中国検察官の向哲濬とその助手である裘劭恒らの同行のもと、中国の当局者、外国人宣教師、医療関係者、南京大虐殺の生存者らを訪ね歩き、多くの一次証言、統計データ、文書資料を収集し、それらを法廷で採用可能な証拠へと整理した。1946年6月、サットンは中国および海外の十数人の証人を率いて東京で出廷し、日本軍の中国侵略の暴行を告発するうえで決定的な人的・物的証拠を提供した。
6冊の「サットン日記」を含むサットン関連資料の原本が最近、収集家の鄒徳懐氏によって落札され、南京大虐殺遇難同胞記念館に寄贈された。鄒氏によれば、サットンが法廷で提示した証拠や証言の尋問は厳密で冷静、客観的で抑制されたものだったが、私的な日記の随所には正義のために奔走した彼の誠実な姿が見られる。中国側の重要証人4人が東京で証言できるようにするため、サットンは国際検察局を代表して南京から上海、さらに東京へ向かう旅費や宿泊費を立て替えた。南京では長江沿岸を訪れ、日本軍が一度に6千人の民間人を殺害した現場を自ら確認した。
張氏は、この一連の資料にはサットンの手書きの日記や調査報告など貴重な史料が含まれており、多くの歴史的細部の空白を埋め、戦争裁判のミクロな叙述をより完全で信頼できるものにしたと述べる。また、南京大虐殺をはじめとする日本の中国侵略の暴行が動かしがたい証拠によって裏付けられており、否定の余地がないことを示しているという。
「環球時報」が確認した資料によれば、サットンは日本軍の中国侵略の罪に関する調査報告の末尾で、戦争責任に対する審判の立場を鋭い言葉で記している。
「この戦争の発動は、厳粛な条約上の義務と繰り返しなされた政府レベルの約束に公然と背くものだった。この戦争の遂行は、組織された戦争におけるあらゆる規範を踏みにじり、その手段は人類の良心を震撼させるものだった」
「中国網日本語版(チャイナネット)」2026年5月8日
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