神道を信仰する日本では、靖国神社は実質上国家宗教の役割を果たしている。そうでありながら、日本人は神社に祀られている戦犯を心から奉ることができない。この矛盾は日本という国の非尋常さの表れであり、それは日本の国家精神(あるいは魂)の暗闇の部分なのだ。
8月15日、安倍内閣の3名の閣僚が靖国神社を参拝した。安倍氏本人は参拝しなかったものの、代理人を通じて玉串料を奉納した。
安倍氏が靖国神社を参拝するか否かは、これまでずっと東アジア諸国が注視する外交議題であった。靖国神社問題の根本的な問題は、そこにA級戦犯が祀られているというだけでなく、この問題に日本の迷走が反映されるということだ。とりわけ安倍氏の外交と経済政策の強硬姿勢の中、靖国神社は自国の不安、苦境をはっきりと映し出している。
靖国神社には246万人の戦没者が祀られており、内戦中に戦没した少数の死者を除けば、多くが侵略戦争における戦没者だ。靖国神社と日本の近代化は密接な関係にあり、日本の侵略の歴史とも切っても切れない関係にある。日本の敗戦後、米国は靖国神社を取り締まることはしなかった。靖国神社を抹消すれば、日本人が激しく反発する恐れがあったからだ。
靖国神社は戦後宗教法人となったが、依然政治と複雑に絡み合っている。大義名分は政教分離としながらも、首相参拝によってそれは崩れた。麻生太郎氏は今年の春季大祭期間に「私的な立場」として参拝したが、当時麻生氏は副総理であった。毎年500万人近い日本人が靖国神社を参拝するが、政府役人の参拝は外部の注目と反発を浴びる。その意味で、日本の政客は政教分離の原則を崩壊させ、靖国神社問題を外交議題にしてしまったのだ。