靖国神社と日本の迷走

靖国神社と日本の迷走。 神道を信仰する日本では、靖国神社は実質上国家宗教の役割を果たしている。そうでありながら、日本人は神社に祀られている戦犯を心から奉ることができない。この矛盾は日本という国の非尋常さの表れであり、それは日本の国家精神(あるいは魂)の暗闇の部分なのだ…

タグ: 日本,靖国神社,宗教,戦犯,安倍,参拝,政客,中日関係

発信時間: 2013-08-26 16:49:24 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

1978年、靖国神社の秋季大祭期間中、14人のA級戦犯が秘密裏に合祀された。1985年に、中曽根康弘首相(当時)が首相の立場で靖国に参拝し、中韓の激しい批判を受けた。中曽根氏本人もこの行動が外交騒動に波及するとは予測できず、靖国を参拝することは国民感情の尊重であり、国ために犠牲になった戦没者に哀悼の意を捧げることであるとした。

今日に至っても、日本の政客は依然これを理由に参拝を続ける。安倍氏は4月、国のために尊い命を落とした英霊を参拝するのは当然と発言した。一見まともな理由のように聞こえるが、実際には善悪の線引きを曖昧にするものだ。誰が国のために命を捧げたのか、靖国神社に眠る数百万という侵略戦争の戦没者は「愛国者」だったのか。もしそうであれば、侵略は日本の「愛国」になってしまう。東京裁判の法律と理論的基盤に違背するのは明らかであり、これも日本の精神の内在的分裂である。

中韓等の国にとって、靖国神社問題は宗教上の問題ではない。日本が侵略を認めるか否かが肝心なのだ。日本の政客が正々堂々と戦犯を参拝できるなら、日本は「加害者」としての罪を払拭するのと同じであり、中韓等の国はかつて侵略で負った傷に対して目をつぶるということになる。日本は靖国神社以外に、心の拠り所はないのだろうか。

戦後日本は米国の主導で民主化政策を進め、憲法、議会など近代的な政治構造を構築していったが、精神面では、天皇制や靖国神社といった象徴を保留した。日本は精神面の根本的な変化はなく、戦後の経済発展が日本人をエコノミック・アニマルに変貌させた。80年代、中曽根氏の「戦後政治の総決算」の中で、日本を正常な国へと導くための精神的支えを求め、靖国神社参拝は政客が「日本性」を呼び起こすための重要な一環となった。その後小泉氏が参拝を繰り返し、中日関係は一気に冷え込んだ。

神道を信仰する日本では、靖国神社は実質上国家宗教の役割を果たしている。そうでありながら、日本人は神社に祀られている戦犯を心から奉ることができない。この矛盾は日本という国の非尋常さの表れであり、それは日本の国家精神(あるいは魂)の暗闇の部分なのだ。安倍氏が「日本は戻った」と声高らかに発言したとき、この国はもぬけの殻であり、巨大なかかしであることに気づいただろう。多くの人が「わら」をもつかむ思いで靖国神社を訪れた。A級戦犯の位牌を納めた松平永芳氏は、東京裁判史観を排斥してのみ、日本は完全に心癒されるという。これは日本の右翼政治に象徴されている。

靖国神社は日本と世界との交流の妨げになっている。靖国は戦前の日本の象徴であり、戦後日本の政治経済が革新されようともこれに変化はない。靖国は日本人と歴史を結びつける帯であり、この帯は侵略の罪悪に染められている。平和発展を誓った国が、戦犯と侵略者の魂を絶えず拝む、この矛盾はしばし国際社会で日本を気まずい立場に追いやっている。

安倍内閣はすでに戦後最も民族主義的色彩の強い政権となり、「慰安婦は軍紀維持にために必要」や、「改憲はナチスに学べ」など政客の奇々怪々とした発言は後を絶たない。善悪の判断を失い、自我をも失っていく日本。靖国神社はすでに外交上の問題ではなく、日本が自らの罪をあがなうか否かの問題であり、もし日本が今後も靖国神社に迷走すれば、「靖国」はただの幻想に終わるだろう。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年8月26日

 

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