第二次世界戦争中の旧日本軍「慰安婦」被害者として、中国人として初めて名乗り出た万愛花さんが5日午前0時45分、山西省太原市の自宅で亡くなった。享年84歳だった。中国青年報が報じた。
万さんは3日午後、入院先の病院から自宅に帰りたいと急に言い出し、家族が自宅に連れ帰った後、翌4日の未明に亡くなった。遺言は残されていなかった。現地の習慣により、遺体は故郷の山西省陽泉市盂県羊泉にすでに移された。
日中戦争期、万さんは3度にわたり旧日本軍に拘束され、非人道的な虐待行為を受けた。万さんは、第二次世界戦争中の旧日本軍による性暴力行為の被害者として、1990年代に最初に名乗りを挙げ、公の前で証言した。彼女は何度も日本を訪れ、東京で行われた裁判に証人として出廷し、日本政府に対し、史実に真正面から向かい合い、謝罪し、弁償するよう求めた。しかし、訴えはことごとく日本の裁判所の判決で退けられた。
「人民網日本語版」2013年9月5日