しかし、中国の絵画はこうした仮説の有力な反論材料になる。欧州がかつて十字軍による野蛮な東征を繰り広げ、創造力なるものが存在しなかった時代に、中国の宋代の画家らは絵画に魂と詩趣を見出す境地に達していた。
筆者はヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の中国芸術作品の責任者である張弘星(チャン・ホンシン)氏と話した際、ダヴィンチは中国の山水画の創作理念を盗んでいるのではないか、ダヴィンチは中国の画作を見たことがあるのではないか、中国の絵画の技術がシルクロードを伝って西洋に渡ったのではないかと切り出した。この疑惑は50年代から浮上しているが、証拠がないと張氏。「中国的」作品はダヴィンチのものだけでなく、オランダの大画家ピーテル・ブリューゲルの画作も「中国的」画風で、彼の「雪中の狩人」には中世中国の山水画家が愛でたすべての要素が含まれていると張氏は指摘する。
なぜ中国では最初に山水画が描かれたのか。中国の画家はなぜ大自然の美を愛し、他国のように神や戦争を描かなかったのか。それは千年前に中国に伝来し、瞑想文和をもたらした仏教、そして宋代の科学技術の成果と関係がある。磁器芸術を頂点へと導いた科学的頭脳が、まさに大自然に対する美的感覚を洗練したのだ。
筆者はダヴィンチが中国の芸術に触れ、東洋芸術に夢中だったと信じている。ダヴィンチはある静かな図書館へと入り、絹の巻物を広げ、そこに描かれた山岳や桜、流れる河川を心行くまで鑑賞していたに違いない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年10月23日