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japanese.china.org.cn | 20. 03. 2014 |
ロザリン・カーター夫人
カーター元大統領は1946年に海軍兵学校に入校。同年ロザリン・スミスと結婚する。カーターが3歳年上で、二人ともジョージア州のブライアンで育った。カーターは仕事に追われ、結婚後家事と4人の子育てはロザリンに重くのしかかったが、「自分にできることを全うする」ときっちりこなした。
家事と子育てだけではなく、彼女は外でも政治家としての才能を発揮した。1955年、カーターが政界に入ると、ロザリンも東奔西走して夫を支え、それまでの候補者夫人のお高く留まったイメージとはまったく違った「親しい隣人」のような印象を庶民に与え、カーターの選挙に貢献した。カーターが最終的にホワイトハウスに入れたのは、ロザリンの汗馬の功があったからだといえる。
夫の大統領時代にも、ロザリンは重要な役割を果たしている。彼女は米国で初めて内閣会議に出席した肝の座ったファーストレディであり、大統領を代表して式典に出席することも少なくなく、大統領に代わってラテンアメリカ諸国を訪問することもあった。ロザリンの言葉遣いや人柄は、米国南部のお淑やかな貴婦人という印象を人々に与え、柔らかい声の裏にも力強さが感じられ、メディアではしばし「鉄のマグノリア」と表現されていた。
カーターは75歳の誕生日のパーティーで、「この人生であなたがやった一番大きなことは?」と問われた際に、「ロザリンを娶ったことだ」と即答している。
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