日本の俳優、高倉健さんが亡くなり、中国のネットユーザーは国境を跨ぎ哀悼の意を表した。数世代に渡る中国人が、往時を偲んでいる。
哀悼の他に、私たちは次のことを考え、期待しなければならない。高倉健さんのように、中日の文化交流を促進するためにはどうすれば良いだろうか?
1970年代に中国に初上陸した外国映画、高倉健さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」が中国でセンセーションを巻き起こした。高倉健さんは多くの中国人の「アイドル」になった。中国のスクリーン上で活躍すると同時に、高倉健さんは中国の優秀な映画作品を日本市場に導入し、中日文化交流を促進した。
高倉健さんが多くの中国人のアイドルになれたのは、彼の卓越した表現力によるものだが、中国人に伝えた友好のメッセージも重要だった。ここでよく知られているエピソードを挙げよう。「単騎、千里を走る」の撮影終了後、撮影現場の麗江石鼓村で洪水が発生した。高倉健さんは村民に手紙とひまわりの種を送り、思いやりを見せた。現地の人々はこの種を植え、花畑を作った。
「もらった種を花畑にして返す」これは中国人の素朴な気持ちを表現した。中国人は素朴で友好的で、事の是非を区別することができる。人々は高倉健さんを偲び、中国人に対する友好的な態度を称賛している。
多くの日本の娯楽文化が、中国で近年好評を博している。「ノルウェーの森」、「NARUTO」、「ワンピース」などの文化作品、村上春樹、宮﨑駿、北野武などの芸術家は中国で広く知られている。中国人芸術家の優秀作品も、日本市場を開拓している。中日の文化交流は日増しに深化しているが、高倉健さんという象徴的な人物は、特に中高年の間で越えることのできない高山のような存在だ。
中日両国は一衣帯水で、両国の民間も文化交流で結びついている。高倉健さんが亡くなり、中日の文化交流は指導的人物を失った。「単騎、千里を走る」の高倉健さんが亡くなり、誰がそのバトンを受け取り走り続けるのだろうか?人々は高倉健さんの後継者に期待している。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年11月21日