
5年前に日本情報誌『知日』が注目され、流行するようになった。森ガール、富士山、手帳、太宰治、断捨離などが紹介され、読者は詳細かつ具体的な日本を知ることになった。2015年、その姉妹誌である『知中』が発売された。「中国の全てを、中国の一番を知ろう」をスローガンとするこの雑誌は、創始者である蘇静氏の“中国夢”でもある。
蘇静、1981年生まれ。湖南石門の人である。大学ではコンピュータ言語が専攻だった。卒業後は元々好きだった映像関係の仕事に就いたがった。しかし様々な原因から困難に陥った。このとき、出版業界で働く友人が、大学時代に絵本を出していた蘇静氏を出版業界に引き入れた。蘇静氏本人の言葉を借りれば、当時の彼は人生の谷間にあった。映画を作り続けることもできず、失恋もしていた。どこか静かなところで落ち着きたかった。そして「磨鉄文化」という出版社に入って出版に従事する。おそらく生まれつきメディアに向いていたのだろう、蘇静氏は同社に在籍した5年間で、袁騰飛や阿狸、兎斯基などの本を出版し、数百万部級のベストセラーを産んだ。
傍から見ると、若くして100万部のベストセラーを出し、年収が百万元以上のレベルになった蘇静氏はすでに押しも押されもせぬ成功者だ。しかし本人は少し落胆していた。なぜなら現在やっている全てが自分の興味とは異なるものだったからだ。そこに自分の楽しみが見いだせなかったのである。2012年、蘇静氏は退職して自分の会社を作った。そして『知日』など日本に関するものを出版し始めた。
「最初は大きなデジタルアーカイブのようなウェブサイトを作りたいと考えました。そこで世界の全てが理解できるようなものです。しかし最終的に紙というメディアを選択し、日本という国を選択しました。どうしてそうしたのか。それは私自身の興味からです。私は日本語を一言も話せませんが、日本文化を取り巻く様々な現象に興味を持ったのです。最初に村上春樹を読んで好きになり、もっと理解したいと思いました。その頃の私は日本の情報を知りたいと思いましたが、ネット上で検索できるものはとても少なかった。資料も極めて断片的でした。大きなポータルサイトは何でもしていますが、系統的に細分化されていませんでした。それが我々に細分化する機会を与えました」。
当初、蘇静氏自身も試験的な意味合いでやっていた。実際にやってみると、「現実は想像以上に悪くないものだった」という。「最初は1万部も売れれば大したもので、4号、6号まで出せればいいと考えていました。ところが実際は好きになってくれる人が多く、販売数もかなり良かった。現在、毎号の販売部数は5~10万部で、すでに30号以上出版しています」。
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