即席麺業界が不況に喘いでおり、かつて大手だった康師傅も苦しい経営を強いられている。康師傅の第2四半期の業績は第1四半期の低迷を引き継ぎ、純利益は前年同期比87%減の1800万ドルとなった。
どれほど懐かしもうと、即席麺の時代は終わった。これは炭酸飲料や海外ファーストフード店の境遇と同じだ。物価が高騰する世の中、炭酸飲料だけ値段が上がっていないことに気づいている人もいるだろう。野菜の炒めもの一品だけでも10元、20元以上はするのに、海外ファーストフード店でセットを頼んでも20元、30元にしかならない。
価格は社会の発展を示すバロメーターで、社会の移り変わりを如実に示している。康師傅や統一が台頭したのは大勢によるものであり、現在の没落も大勢によるものだ。いつの日か即席麺は自宅内で旅行する引きこもりの必需品になったが、今はどうだろうか?今ならばマンションの外には朝から晩まで開いている中国料理店があり、ラーメン店も常にアツアツのスープを出してくれる。外出したくなければ電話をかけ、十数元で出前を取れる。ネットで注文するのも可能だ。種類も豊富で、即席麺よりもおいしく栄養価も高い。価格も即席麺を大きく上回るわけではない。家にこもっていても出前で届けてくれるのだから、面倒臭がる必要はない。
企業が何もしていないわけではない。康師傅も統一もあの手この手で新製品を出し、商品の改善を続け、全力で宣伝を行っている。牛肉麺のテレビCMは魅力的で、炭酸飲料はいかにも爽やかそうで涼しさが伝わってくる。しかしこのようなCMは、若者の心を打たない。より良い健康を求める時代において、即席麺や炭酸飲料などは製品そのものの位置づけにより、人々の消費観との間に隔たりがある。
多くの人が即席麺を懐かしがっているが、これは即席麺と共に過ごした青春の日々を懐かしんでいるのだ。あの頃は即席麺とビール1本で十分だった。あの頃は食事時になると、列車からは即席麺の匂いが漂ってきた。乗客は目を開いていてもフタや袋を開けられたほどだ。
空港でお腹をすかせている時でも家の味を届けてくれる即席麺に感謝する。しかし社会はすでに発展しており、即席麺は堂々と引退してもいいはずだ。モノがあふれかえっている今、即席麺が大黒柱になり、列車で誰もがカップ麺を手にしなければならないとすれば、そのほうが問題だ。
主役から脇役になった即席麺は、今後も市場で一定の地位を占めるだろうが、社会は大きく前進しており、後戻りはできない。即席麺と炭酸飲料が健康的かは、もはや重要な問題ではなくなった。外食という前途ある、社会の発展の流れに適した業界を、より安全で安心できるようにすることが問題になっているのだ。これは良き事だ。新陳代謝により社会は進歩でき、次々と新たな活力を生むことができるのだから。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年9月1日