90年代生まれ臓器提供コーディネーター「私たちは命の渡し人」

90年代生まれ臓器提供コーディネーター「私たちは命の渡し人」。

タグ:臓器提供コーディネーター

発信時間:2019-05-12 09:00:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る


 鳳凰山陵園には555人の臓器提供者が眠っており、うち32人は孟風雨さんがコーディネートした。


 「明るい色の洋服を全て片付けた。いつ患者の家族に会いに行き、臓器提供についてコミュニーケーションをとるかわからない」と彼女は話した。


 「以前は仲間内で最も笑うのが好きで、毎日笑っていた」と話す孟風雨さんは、コーディネーターになる前は中南大学湘雅二医院移植科の看護師で、患者の目にも楽天的な女の子に映っていた。そこで接触していたのは、臓器移植を受けて希望に満ち溢れた患者ばかりだった。


 「今は馬鹿笑いしなくなった」と孟風雨さん。臓器提供コーディネーターになって2年間で、1990年代生まれの彼女は数十回の追悼式に参加した。「正直なところ、今でもどのように遺族を慰めていいかわからない。彼らの肩を撫でて、一緒に涙を流すしかない」と話す。


 悲しむことは楽なことはなく、彼女は経験を積んでも楽になることはないだろう。それどころか、生き別れと死に別れに何度も浸り、さらに辛くなる。


 悲しみだけでなく、誤解への対応にも困る。ICUの医療スタッフから「あなたが来ると、私たちの科でまた患者が亡くなったのだと実感する」と言われたことがあり、心ない言葉により彼女は自分が「死神」のように思われているのではないかと疑った。


続けている理由は


 この質問に対し、孟風雨さんは1つの出来事を語った。2018年8月、1歳の涵涵ちゃんは病状が深刻で、呼吸器と大量の昇圧薬で生命を維持しており、両親は臓器提供を決心した。最終的に、涵涵ちゃんは2人の尿毒症患者を助けた。再開時、涵涵ちゃんはの母親は涙をためて孟風雨さんと彼女の同僚と握手し、「ありがとう。涵涵は別の方法で生きている」と言った。


 「別の方法で生きる」。これは孟風雨さんが困難を克服し、誤解を乗り越え、続けてきた理由である。彼女は、「臓器移植を受けた患者の顔が光り輝いているのを見た。提供者の家族も、家族の臓器が別の世界で他人の役に立っていることを知ると、安心したような表情を浮かべる」と話した。

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