筆者の妻は過去2カ月半に渡り、香港大学で客員教授を務めていた。ところが最近の情勢の深刻な悪化により、一家三人は非常に残念ながら香港を離れざるを得なくなった。24日付独紙『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』が伝えた。(作者・CHRISTOPHER KLOEBLE)
筆者と妻は香港に到着した当時、抗議デモの中心地から離れ、ニュースにも目を向けなければ、この都市は静かに見えるだろうと思っていた。私は遠方の家族や友人に無事を報告した。生活はこうして続けられた。
香港は貿易により国際的な都市になった。世界各地の人はここで、故郷にいるような感覚を味わえる。香港は大らかだが、完全に差別が存在しない都市でもない。筆者は逆行するインドの若者が米国人に遮られ、叱責されるのをこの目で見た。白人男性の筆者はここで生活しやすいと感じるが、妻は肌の色が浅黒いため家政婦と思われがちだ。植民地時代の遺産がなおもこの都市に存在する。スーパーの商品は英国もしくは米国からの輸入品ばかりで、中国大陸部からの商品は懸念されていた。
娘の幼稚園の教員は四大陸の出身だった。娘は中国語の歌を覚え、世界各地の子供と友達になった。子供たちは他の児童の出身地、外見、使用言語を気にしない。香港はここでは、ユートピアのように希望に満ち溢れている。
ところが情勢の悪化が続き、暴力事件が増加し、罪なき人が犠牲になった。筆者は外出前、常にネット上でデモ隊がどこにいるかを確認した。黒服のデモ隊に遭遇すると、常に警戒を維持した。また香港政府の支持者と思われないよう、意図的に白い服を避けるようになった。
驚くべきことに、香港市民の権利はデモによりさまざまな制限を受け、一般人の生活状況の悪化が続いた。ある高齢のタクシー運転手は「昔の香港はなくなった。今は別れを告げるべき時になった」と述べた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年11月27日
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