タクラマカン(塔克拉瑪干)砂漠の南部に位置する新疆ウイグル自治区のホータン(和田)地区一帯は古くから「玉の里」「シルクの里」「果物の里」と称されてきた。しかしこの土地は63%がゴビ砂漠で、3・7%しかない大小のオアシスが300カ所に点在しており、大規模な栽培や畜産が困難だった。そのため、世帯単位の小農経済が長きにわたり生産活動を主導していた。それが原因で1216の貧困村と98万人以上の貧困人口を有するホータンは、同自治区において貧困脱却の堅塁攻略戦を繰り広げる「主戦場」になった。長年の努力を経て、同地の約91万人の貧困人口は貧しい生活から抜け出した。残りの7万7000人余りも年内に全員貧困脱却を実現する。
ホータン地区ロプ県では特色ある畜産業によって農民の収入を増やしている。研修を受けた現地の農民は、写真のように同県の農牧会社のウサギ飼育場の飼育員となり、毎月安定した収入を得ている(新華社)
砂漠の孤島との別れ
夜が明けて日が暮れる。これがイミン・マイティクルハンさんの生活に対する理解だった。彼は4年前に140元でシンプルな携帯電話を購入したが、室内での受信状況が悪かったため、庭のコトカケヤナギの上に置いて使うようにしていた。
イミンさんの家は代々、タクラマカン砂漠の奥地にある「中国の最後の砂漠集落」と呼ばれていたダリヤブイ(達里雅布依)郷に暮らしていた。地元民の家はほとんどコトカケヤナギやギョリュウ、アシ、クリヤ(克里雅)川底の泥で造った粗末な建物だった。
2016年、ホータン地区のユィテン(于田)県は同郷の住民向けの移住プロジェクトを計画した。翌年、砂漠を通る90㌔に及ぶ道路の開通と貧困者向けの移住団地の完成に伴い、イミンさんと近所の住民たちは新居に引っ越し、新しい生活を迎えた。強風で家屋が倒壊したり、黄砂で帰り道が埋められる心配はもうない。
「初めて新居に足を踏み入れたとき、幸せが本当にやってきたと実感しました」と、昨年移住団地に引っ越したばかりのハイユハン・マイトソンさん(38)はうれしそうに振り返った。ここに引っ越す前、彼女の家族は放牧で生計を立てていた。初めて砂漠を出たのは15歳のときで、240㌔離れた県都の病院に診てもらうためだった。県都のにぎやかな風景を見た彼女は砂漠を離れることを切実に望んだが、家の経済状況のため、「自分の生活に戻らなければならなかったです。県都で過ごした数日は夢みたいなものでした」と語る。
移住プロジェクトによって、ハイユハンさんは夢をかなえただけでなく、新しい人生をも迎えた。県都から90㌔離れた移住団地はまるで小さな町で、住宅のほか、学校や商店、保健所、バス停などの公共施設がそろっている。1人当たり25平方㍍の新居が割り当てられたほか、砂漠を特色とした観光を発展させるために、世帯ごとに20平方㍍の民宿用のスタンダードルーム1室が併設された。ハイユハンさん一家の民宿はすでに観光客の受け入れを始めている。かつて貧困の苦しみを味わわせた砂漠はいまや富をもたらす源泉(7)になった。
同郷党委員会書記の賈存鵬さんによると、現在までの同郷の移住貧困人口は839人だ。移住後に出稼ぎのチャンスをつかんで、外の世界で見聞を広げて収入を増やした若者は少なくない。「若者の出稼ぎを奨励するほか、地元の観光産業振興にも取り組んでいます。ここの砂漠には数世紀にわたる文明が眠っており、文化観光の資源は非常に豊富です。観光業の発展によって地元民の近場での就業(8)を実現したいです」
今年2月27日、ホータン地区モユィ県から500人の出稼ぎ労働者が無料のチャーター機に乗って各地へ飛び立った。現地政府は労働移動によって貧困脱却を助けている(新華社)
ふるさとにいながら稼げる
ホータン地区モユィ(墨玉)県サイバグ(薩依巴格)郷のチマンニグリ・マイティツルソンさん(23)もかつて外の世界に出たいと思っていたが、現在はむしろ地元に残りたいという。4歳の息子の子育てと仕事を両立できるからだ。チマンニグリさんは半年前から地元のキノコ生産会社「樹上老菌」で技術者として働き始め、今はチームリーダーになり、月給も1400元から2500元に上がった。
昨年1月に設立された「樹上老菌」社はキノコの研究・開発や栽培・加工・販売を行う近代化した農業企業で、「会社+農業協同組合+農家」の提携モデルを取り入れ、付近の5000戸の貧困世帯に雇用機会をもたらした。
このような会社と農家の提携経営はホータン地区で大いに普及している。同地にはわずか2年間で、近代化した農業パークが8カ所造られ、農業の産業化を行う企業133社を誘致した。さらに3111の農業協同組合が設立され、15の飼料加工工場と22の屠畜場が建設され、16の農産物高度加工企業を誘致し、飼料生産と畜産、屠畜、加工、販売をそろえた産業チェーンを構築した。多様化・細分化した分業によって、地元の人々はより多くの就業の選択肢を持ち、ふるさとを出なくてもそれぞれに向いている貧困脱却の道を見つけることができるようになった。
モユィ県から54㌔離れたロプ(洛浦)県。トニシャハン・トソンニヤヅさん(34)は間もなく乳業会社「西域春乳業」の優良種乳牛繁殖・育成拠点での実習を終える。正社員になると、毎月2500元の給料をもらえる。
トニシャハンさんの家は同県の杭桂鎮にある。4人家族で、6ムーの耕地で多くとも年間1万元程度の農業収入を上げて細々と暮らしてきた。彼女は今年6月から繁殖拠点で働き始めると、毎月安定した給料がもらえることで安心感を持つようになった。搾乳のほか、子牛2頭を購入して自宅で飼っている。「大きくなると、1頭6000元余りの利益になります」という。こうして彼女1人だけでも家庭の年間収入を2万元余り増やせる。
同県は財政による貧困救済資金を使って、3766戸の貧困世帯の乳牛購入を支援し、1頭につき補助金2万元を提供し、合わせて7532万元を投入した。農民たちは乳牛をまとめて専門の繁殖企業に預け、毎年1頭当たり2500元の配当が出る。
トニシャハンさんの夫は内装工事の職人で、普段は近くの工事現場で臨時雇いとして働いている。2頭の子牛が大きくなったら、それらを売って車を購入するつもりだ。そうすれば、輸送の仕事を引き受けて収入をもっと増やせるからだ。「懐が温かくなって、私でも県都に行ってきれいな洋服を買えるようになりましたよ」と、トニシャハンさんはうれしそうに言った。(李芳芳=文)
人民中国インターネット版 2020年10月10日