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ブン川地震の生存者、179時間後生還の要因(1)
発信時間: 2008-06-06 | チャイナネット

医学関係の専門家によると、一般に人間は飲まず食わずの状況下では72時間が生理的な限界だという。しかし四川省ブン川映秀湾水力発電工場の職員馬元江さんは、地震で倒壊した建物の瓦礫の暗闇の中で、飲まず食わずで179時間も生き延びたのだ。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。

馬さんはなぜ瓦礫の下でこれほど持ちこたえることができたのか。馬さんの経験が地震に対する自衛の面で役に立つ点があるのだろうか。馬さんの健康状態に配慮して、隔離を解かれ気持ちが基本的に落ち着いた後で取材を行った。

馬さんと第3軍医大学新橋医院の専門家と共に今回の奇跡の謎を探った。

▽素早く両手で頭を抱える

地震発生時、31歳の馬元江さんは職場2階のオフィスで会議に出席していた。馬さんによると、今年3月にも映秀では地震があったため、今回の地震の時もすぐに反応することができた。皆が避難の準備をしている時に天井が崩れ落ちてきた。「私はとっさに両手で頭をしっかりと抱えた。」

新橋医院胸部外科の張国強副主任は馬さんが救助された際の現場救援に当たっていた専門家だ。張副主任によると、8階建ての建物が崩れたが、馬さんは頭部を守ったため、右の顔面に外傷を負ったのを除いて頭部に傷はなかった。そうでなければ深刻な結果になっただろうと張副主任は語る。

馬さんが意識を保っていられたのにはもう一つ原因がある。彼が瓦礫に閉じ込められた時、体は頭が低く足が高い位置にあったため、大脳への血液の流れに有利となって、意識が保たれただけでなく身体の対応能力発揮の面でも大きな助けとなった。

▽生き延びるとずっと自分を励ます

馬さんが瓦礫に閉じ込められていたのは179時間という長さだ。実際は5月12日の昼に卵入り麺を食べたのを最後に、馬さんは181時間の間何も食べず、飲まなかったことになる。

「私は自分がどれだけの時間閉じ込められていたのかわからなかったが、誰かが助けに来てくれると信じていた。私は外にいる妻と4歳半の娘のことばかり考えていた。意識を失ってはだめだ、絶対生き延びるのだと自分に語りかけた。」馬さんは「同僚の虞錦華さんが近くに閉じ込められているのに気づき、互いに励ましあった」と述べている。

新橋医院の王衛東院長によると、一般に人間は飲まず食わずの状況下では72時間が生理的な限界だ。72時間後は意志の力がその人の生存を左右する決定的な要素となる。王院長は、もし当事者がこうした時に極度の恐怖に陥り、心拍数が増加して血圧が上昇すれば、体の代謝による消耗が拡大して長時間生存するのは難しくなると述べている。強い意志と必ず生き延びるという信念が馬さんを冷静にさせ、体のエネルギー消費を低減させると同時にホルモン分泌を積極的に調整し、自らの対応能力を極限まで発揮させたと見られる。

「人民網日本語版」2008年6月6日

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