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「80後」の苦学女子学生 大学進学までの人生は苦難連続(2)
発信時間: 2008-09-22 | チャイナネット

譚之平さんはその後間もなく、知り合いの紹介で、長陽県にある国道318号線沿いの私営雑貨店で働くこととなった。月給350元、18歳の彼女は出稼ぎ労働者となった。

出稼ぎ労働者として働いていた期間、彼女は常に一番に起床し、最後に就寝していた。店の仕事以外の、食事の用意、豚の世話といったことも、積極的に行った。彼女の雇い主は彼女を高く評価し、店のこと一切を任せるようになった。

2002年春節、彼女は、自分が経営者として創業することを決心した。

その年2月、貯めたお金や借りたお金を合わせた計2万5千元を手に、譚之平さんとその父親は武漢にやってきた。その後、10日余りしてから、駅の近くに、小さな無名のスーパーマーケットが開店した。

安値で入荷し、自分で荷を運び、朝早くから夜遅くまで店を開ける…。

程なくして、譚之平さん1人を残し、父親の譚徳柱さんは故郷に帰ることになった。住み慣れないこの大都市で、19歳の譚之平さんの女社長としての人生が始まった。

細かなところにまでよく行き届き、口が上手く、薄利多売と、この小さなスーパーマーケットは評判になった。2004年末、賃貸していた店舗が取り壊しとなり撤退を余儀なくされたとき、すでに十数万元もの蓄えがあった。家計も好転し、2階建ての家を建てた。譚之平さんの妹も、そのお陰で中学を無事卒業し、技術を学ぶようになった。

2005年、譚之平さんは従来の店を撤退し、新たに別の場所で店を構えたが、思うように軌道に乗らなかった。

「人民網日本語版」 2008年09月22日

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