ボランティアの中に、1980年代に生まれた、いわば甘やかされて育った一人っ子たちもたくさんいた。人々は常に「80後」の若者を憂え、「反逆・自己中心・集団主義精神を欠き、未来は憂うべき」と思っていた。ところが、今回の救災活動では、彼らは非常に活躍し、苦労をいとわず、人助けに尽くした。彼らの姿は被災地のあちこちで見られ、悪いイメージを一変させた。彼らの中に中国の希望が見えた、と多くのメディアが高く評価した。
若者や市民が進んで参加
北京の王府井大通りで国内外の観光客にサービスを提供する広東省東莞市から来たオリンピックボランティアチーム
その後のオリンピックボランティアは、さらに中国のボランティア活動を高めた。統計によると、北京オリンピックやパラリンピックの間、合わせて10万人(申込み者は百万人を超えた)のボランティアが各会場でサービスを提供した。そのうち90%は大学生である。彼らは毎日早朝から持ち場に着き、深夜まで大学には戻れなかった。競技場が目の前にあっても、観戦はもちろんできない。それにもかかわらず、彼らはオリンピックボランティアの仕事に喜びと誇りをもっていた。
また、北京オリンピックは都市ボランティアを募集した。7月から10月まで、40万人近くのボランティアが500の都市ボランティアサービス・ステーションで、選手や観戦者、観光客および市民たちに情報提供、ガイド案内、応急措置、通訳などさまざまなボランティアサービスを提供した。数多くの大学生やサラリーマン、定年退職者、住民委員会の人たちが都市ボランティア活動に参加した。ボランティア活動の理念が深くみんなの心にしみ込んだ。このため、2008年が中国の「ボランティア元年」になるかもしれないと言う人もいる。
「人民中国インターネット版」より2009年1月8日
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