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元農奴が語る今と昔――飢えの苦しみ、殴打から農地に酔い倒れるほどの幸せ
発信時間: 2009-03-03 | チャイナネット

シガツェ(日喀則)地区にあるパイラ(帕拉)荘園は、チベットで最も完全な形で残る奴隷領主の荘園である。ここで、過去の領主が私設した監獄や多種にわたる刑具、農奴の住まいなどが今でも目にすることができ、旧チベットの縮図だといわれる。

パイラ(帕拉)荘園

当時農奴だった一部の人は今でもこの荘園の付近に住んでいる。今年75歳になるミマドンジュさんの家は壁一つ隔てて、悲惨な経験をしたパイラ荘園と向き合っている。「そこはこの世の地獄、まさに別の世界だ」

振り返るのが耐え難い生活

ミマドンジュさんと妻はかつて農奴で、夫は荘園で衣服の仕立人、妻は使用人をしていた。

二人がかつて住んでいたのは、荘園の中の7平方メートル余りの小屋だった。「暗くひんやりして、昼間でも物ははっきり見えなかった」。地面に土を盛って“ベッド”を2つ作り、住むこと11年。娘が生まれると、3人は狭い小屋で肩を寄せ合い、ぼろぼろになった2枚の羊の皮で温まり、寝た。お腹は満たされず、着る物も寒さをしのげず、これがミマドンジュさん一家の普段の生活だった。農奴の食物は毎月、わずか2.5-30キログラムのハダカムギだけ。一家は計画を立てて食物を口にし、ひもじければ、水を飲んだ。

旧チベットでは、領主が仕置場を私設して、農奴を殴ったり、危害を加えたりすることは日常茶飯事だった。ミマドンジュさん夫婦も幾度となく殴られた。妻はある日、荘園主の夫人の世話にあたっていた時、不注意でグラスを割ってしまい、目付け役に皮の鞭で顔をしたたかに打たれたことがある。

幸せで農地に酔いつぶれる

チベットでは1956年、各地で相次いで民主革命が行われ、数多くの農奴が人身の自由を束縛していた足かせから抜け出し、生産・生活手段を手にし、真に解放されて主人となった。

ミマドンジュさん今でも記憶している。59年秋の豊作時、畑はハダカムギが立派に生長していた。この年、パイラ荘園の土地・財産を分配する大会が開かれ、全郷(村)から500人余りが参加した。

一人あたり7畝(1畝=15分の1ヘクタール)の規定に沿って、ミマドンジュさんには一家3人分として21畝の土地が分け与えられた。このほか、およそ168キログラムの穀物や掛け布団、衣料品などの生活用品が配分された。

土地の配分は、当時最も公平だとされる方式で行われた。すべての土地を区画して番号をふり、担当者が小さな紙にその番号を書き、それを丸めて帽子の中に入れる。そして、地元の住民が帽子の中にある紙をつかみとる。そうすることで、住民は自分の土地がどこにあるかを知り、自分の土地に、名前と畝数を明記した木製の札を掲げるという仕組みだ。

一枚の紙、一つの札、最も簡単な民主形式がチベットの歴史に新たな一頁を切り開いた。

「土地を分け与えられて、みんな喜んだ。30人の農奴の仲間が青稞酒(ハダカムギで作った酒)を求めに来た。ここに座り、酒を飲みながら祝った。その日の午後はみんなが至極の酒を飲み、最後には農地に酔い倒れたものだ」

新生活では選択する権利が

ミマドンジュさん言う。「農奴には人身の自由はなく、荘園主の絶対的支配下にあった。自分だけでなく、孫の世代さえも一生うだつが上がらなかった。土地と財産が分与されてからは、自分が努力しさえすれば、よい生活が送れることがわかった」

2000年、ミマドンジュさんは政府の助成を受けて乳牛を購入し、牛飼育の専業農家になった。4頭いる乳牛による純年収は5000元。牛舎の建設でも政府の支援を受けた。

現在、33畝の土地を持ち、優良品種のハダカムギを普及させているところだ。1畝あたりの年間生産量は350キログラム。

「今ではコメなどの穀物が十分あるし、食べきれないほどだ。もうすこし長生きして、もう少し今の生活を味わいたい。昔はかなり苦しかったからね」とミヤドンジュさん。

「チャイナネット」2009年3月3日

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