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西蔵の元農奴が語る生活の変化
発信時間: 2008-04-15 | チャイナネット

拉薩(ラサ)市堆竜徳慶(トゥールン・デチェン)県羊達郷通ガ村は三方を山に囲まれた谷間の、典型的な蔵族(チベット族)の村だ。蔵族のおばあさん、平措卓瑪(音訳)さんは屹立する高山を背にした村の北端に住む。こぎれいな蔵式(チベット式)住宅の敷地内に入ると、82歳の平措卓瑪さんが夫の格桑阿旺(音訳)さんとひなたぼっこを楽しみ、屋上には色鮮やかなタルチョ(経文を印刷した祈祷旗)が風に舞っていた。

老夫婦は60年近くの結婚生活で4人の娘を育て上げた。現在は同居する娘一家の世話を受けている。娘一家が耕す12ムーの畑からは、家族に十分な量の裸麦、小麦、ジャガイモ、野菜が収穫される。穀倉には昨年収穫された穀物が麻袋14袋とドラム缶2本いっぱいに詰まっていた。平措卓瑪さんは「いまの生活はいいですよ。お腹いっぱい食べられるし、栄養もあるんですから!」と話す。

平措卓瑪さんは農奴の家に生まれた。18歳の時、30キロ余り離れた土地から母と共に通ガ村にやってきた。そのいきさつを平措卓瑪さんは「売られてきたんじゃないですよ。交換されたんです」と話す。当時、3人の農奴主が村全体の農奴を順番で管理しており、農奴は耕す土地を割り当てられるだけで収穫の取り分はなかった。平措卓瑪さんが差し出した皺だらけの右手は、中指の関節が異様に盛り上がっていた。「あいつらが棒で打ったんですよ!」。半世紀以上経った今も、心が安らぐことはない。「お腹が減って仕事をする力がないと、殴られるんです!」。

1959年に西蔵で民主改革が実施されると、一家はヤク1頭と穀物4袋、そして何よりも大切なことに、生まれて初めて自分の土地を与えられたのだ!それからは、日に日に暮らしが良くなっていった。

整ったセメント舗装、美しい蔵式工芸の花、精緻な彫刻が施された梁。平措卓瑪さんの現在の家は、清潔な蔵式住居だ。家の変遷に話が及ぶと、平措卓瑪さんは堰を切ったように語りだした。農奴時代は、母と2人で石造りの掘っ立て小屋に住んでいた。「冬は風が吹き込むし、夏は雨が漏るし、外など見ることはできませんでした」。後に土レンガ造りの家に移り、2006年には政府の住環境改善事業で、現在の住居に移ることができた。「政府は2万9000元も補助してくれたんですよ!」。

貧しい老夫婦は農村最低生活保障に加入し、半年に1回、1人月20元分の補助金を給付されている。老夫婦が住む東棟には、民政部門からの贈り物があった。磚茶はまだ一塊半、米も1袋未開封のまま置かれていた。これらはみな、蔵暦(チベット暦)の新年に民政部門が贈ってくれたものだ。

「人民網日本語版」2008年4月15日

 

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