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臥竜に残るパンダを世話して1年―飼育員・鄧涛さん
発信時間: 2009-05-12 | チャイナネット

パンダの飼育員の鄧涛さん

地震後も臥竜に残っていた最後のパンダ6頭が4月25日、雅安碧峰峡パンダ保護基地に移送された。そのうち健康状態の良い4頭が「国慶節パンダ」に選ばれ、29日に専用機で北京に到着、北京動物園で新生活のスタートを切った。鄧涛さんは6頭のパンダに付き添って臥竜に残っていた女性飼育員。仕事を始めてまだ2年だ。その働きぶりが評価されて今回、他の2名の飼育員と一緒にパンダに随行して北京に。

「5.12」汶川大地震から1年を迎えた。この間、地震で重大な被害を受けた臥竜に残り、当時子どもだったパンダを元気に育てるため、彼女たちはどんな苦労をし、どんな努力をしたのだろう。

 

研修中に危機対応命令

「5.12」大地震で、1980年に建設された中国パンダ保護研究センターでは3分の1近くの地域が被害に遭った。32カ所ある飼育ゾーンのうち山に面した14カ所が土砂に埋まり、生存環境は急速に悪化。パンダの安全を確保するため、研究センターは400キロ離れた、被害の程度が比較的少なかった雅安碧峰峡基地に移送することを決めた。ただ、07年に生まれた6頭の子パンダについては、まだ体力的に劣り、運動能力も低く、移送にかなりのリスクがあるのに加え、雅安碧に生息するパンダの数が多いことから、問題が起きる恐れもあるとして、研究センターは暫定的に臥竜に残し、さらに世話に当たる8名の飼育員を派遣することにした。

地震発生前、鄧さんはまだ研修中。先輩についてパンダの性格を懸命に勉強していて、まだ正式には仕事に就いていなかった。地震発生後、事態は緊急を要し、要員も不足。そうしたなか、動物をこよなく愛し、また責任感の強い鄧さんが幹部の目に止まり、上司から残るパンダの世話をする重責を依頼された。仕事に就いたのは、地震が発生して1週間後だ。

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