9日間燃え続けていた第5回東アジア競技大会の聖火が13日夜、ゆっくりと消された。しかし、今大会を主催した香港と東アジアのアスリート達が共同で創造した「伝説の1コマ」は、東アジア競技大会史で永遠不変に輝き続けている。
今大会は、香港で初めて開催された国際的な大型総合スポーツ大会。中国共産党中央政治局委員を務める劉延東・国務委員が開幕式で東アジア競技大会の開会を宣言した。国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長も開幕式に出席した。
第5回東アジア競技大会閉幕式は13日午後8時、九竜にある香港体育館で開催された。「東アジア競技大会ダイジェスト特別編集版」が式で放映された。その後、参加した9国家・地区の代表選手が入場すると、観衆から熱烈な拍手と歓呼の声が湧き上がった。日本人歌手・中孝介(あたり・こうすけ)が閉幕式で歌を披露した。
今回の東アジア競技大会の競技結果を振り返ると、過去4回大会に引き続き、中国・日本、韓国の3カ国が優勢を保った。金メダル計262個の8割をこれら3カ国が手中に収めた。中国は113個の金、合計232個のメダルを獲得、メダル数トップの座を守った。金メダル数の2位は日本(62個)、3位は韓国(39個)だった。
主催者の中国香港は、今回の大会で「伝説の1コマ」を創造した。26個の金、合計110個のメダルを獲得した。この中には、日本を破って金メダルを獲得した男子サッカーチームも含まれており、東アジア競技大会史上最高のメダル獲得数4位に輝いた。中華台北と中国マカオはともに8個の金、朝鮮は6個の金をそれぞれ獲得した。モンゴルは、金メダルこそ無かったが、合計20個のメダルを獲得した。グアムは過去3回の大会と同じく銅1個に終わった。
初の国際大型総合スポーツ大会主催という重責を果たした香港は、革新的なアイディアによって、限りある資金、競技種目の多さ、分散した各競技施設、交通渋滞などの様々な難問を見事克服した。そして、極めてユニークで、運行のスムーズな、注目スポットに富んだ東アジア競技大会を世間の人々に披露し、総合大会を計画・実施する上での「香港方式」を開拓した。決して派手ではないが実用性に富んだコンセプトと大胆な改革精神は、後を継ぐ者のために「新モデル」を打ち立てた。これは、今回の大会が残した貴重な遺産となった。
次回の東アジア競技大会は、2013年に天津市で開催される。
「人民網日本語版」2009年12月14日
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