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馮思広パイロット |
中国空軍済南軍区航空師団に所属する馮思広パイロットと張徳山中隊長は5月6日夜、乗っている飛行機のエンジンが停止するという非常事態に陥った。人口が密集している市内中心部への墜落を避けるため、馮パイロットは我が身の危険を顧みることなく、張中隊長とともに思いきって飛行コースを転換した。このため、馮パイロットはパラシュートで脱出する絶好のチャンスを逃し、壮烈に命を落す結果となった。
午後9時30分、2人が乗った飛行機が高度約50メートルまで達した時、エンジン音が急に小さくなり、エンジン推力が急激に低下した。後部座席に座っていた張中隊長はただちに非常事態を地上に報告、航空管制塔で指揮を執る沈樹範・師参謀長は2人にパラシュートで脱出するよう命令した。
その時、飛行機の前方、比較的近くに、大きな民家の群れや賑やかな繁華街が見えた。パラシュートで乗組員が脱出すれば、飛行機は市街地に突っ込み大破は免れず、被害は想像を絶するものになるに違いなかった。
生死の瀬戸際に及んでも、2人の頭には、「人々の生命・財産の安全を最大限守る」こと以外になかった。彼らは飛行機を捨ててパラシュートで脱出することを止め、操縦を続けた。機体を仰角12.3度から俯角9.8度まで回転させ、飛行ルートが市街地から外れたことを確認した後、ようやくパラシュートで飛び降りる態勢に入った。
事故と同型機のパラシュート発射プログラムによると、後部座席が先に発射され、1.1秒後に前部座席が発射される。先に脱出した後部座席の張徳山中隊長は脱出に成功した。しかし、馮パイロットがパラシュートで飛び降りた時には、飛行機の高度は32メートルまで下がり、俯角は16度に達していた。パラシュートは開かず、馮パイロットの尊い命が奪われた。
事故後の検証によると、飛行機の墜落現場と住民居住区の距離はわずか230メートルだった。乗組員の判断が1秒でも遅ければ、飛行機は間違いなく4千人あまりが住む密集地に突っ込んでいただろう。
馮思広パイロットに5月7日、「革命烈士」の称号が付与された。
「人民網日本語版」2010年5月21日
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4千人あまりが住む密集地 |