北京市の東北、四環(第4環状線)の外に位置する村、大望京は僅か1年で完全に消滅した。1年前まで同地は、アパートの貸し出しによって生計を立てる村落だった。立ち退きを経て村は無くなったが、村民は一夜にして巨万の富を得た。今では大望京村があった彼の地には公園が1カ所あるだけで、あとは広大な黄土が広がっている。政府はここに、隣接する望京地区を超える繁華街を建設する計画だ。
昨年5月の立ち退き後、村民らは一度に100万から数百万元の補償を手にした。一般家庭には立派な新居のほか、少なくとも100万元以上、多い人では700万-800万元、果ては1千万元以上の補償を手にした。立ち退きにより大望京村の全村がお金持ちになったのだ。
同村の王連仲・副村支書によると、立ち退き補償で巨額の富を得た村民の中には、ビジネスを始める人は非常に少なく、ほとんどが投資や住宅、マイカーの購入に充てたという。
この1年で、大望京村には600台以上の小型自動車が新たに増えた。同村の概算によると、全村では1700戸にも満たない。新車はほとんどが高級車という。
立ち退き補償を得た後、株や投信に投資した村民は6割以上に上る。特に投信。立ち退きの際、銀行が現場で村民に対して投信購入の代行手続きを行い、投信以外にも国債などの宣伝を行い、6割以上の村民が購入した。最低でも20万元、ほとんどが100万元以上だったという。
村で最も古いエンジュの木は残された。この樹齢数百年の老木は大望京の歴史の証人だ。村民は、老木がかつての大望京を想い出させると語る。
村民らにも様々な苦悩がある。平屋からマンションに転居し、体の不自由なお年寄りは外出が難しくなった。字の読めないお年寄りもいて、エレベーターで外に出るのにも苦労している。元村民の男性・劉景星さんは、「富は得たが、なぜだか嬉しくない」と語る。
最もやっかいで慣れないのは、知り合いがおらず、話し相手がいないことだ。
劉さんによると、立ち退き後、外出する度に、以前の村での幼なじみに会うだけで、以前は話もしなかった人でも今はとりわけ親しみを覚え、嬉しくなり、言葉を交わして家路に就くのが習慣となった。劉さんはため息をついた。「これが立ち退きさ」。
「人民網日本語版」2010年5月28日