「享受」という言葉は元来、ある物を「占有」するという条件の上で成り立っている。先進諸国の人々のように、気軽にバリ島に出かけて日光浴する、あるいはパリでワインを堪能することが可能ならば、「誰誰がどこそこを訪れた」といった話にそれほど盛り上がらない。欧米のバックパッカー達のように、現地の風物、景色、人々の生活ぶりに興味を示し、カメラを向けるだろう。
写真撮影が旅行の唯一の楽しみならば、背景は観光名所の唯一の価値となる。観光名所で写真を撮ることは、ひとつの習慣なのか、あるいは心から好きだからそうしているのかを、我々はじっくり考える必要がある。旅行を楽しむ能力を高めるには、トレーニングが必要だ。今度旅行に出た時には、カメラを握りしめ、急ぎ撮影スポットに並ぶ間に、僅かな間でも立ち止り、風景をカメラに収める前にまず自分の眼に収めてみても良いのではないか。眼を閉じ、頭の中に美しい風景をイメージし、撮影する。誰もがシャッターを押せるが、自分のイメージで撮影した景色は十人十色だ。自分の頭の中で撮影した風景をポストカードにして友人に送ることも、大きな楽しみではないだろうか。
風景を背景としてはならない。写真撮影にかまけていると、旅の醍醐味を見失ってしまう。一回旅に出るたびに、それは特別な体験となるのだ。(アジア・ポジティブ心理研究院 汪冰主席研究員)
「人民網日本語版」2012年2月7日