RecordJapanサイト2月27日付の記事によると、日本のお笑いスターは大阪出身者が多いが、なぜ大阪の人はお笑いセンスに長けているのか?日本のブログ「大阪商人の文化論」がこれにひとつの答えを与えている。
大阪の「商人の商店街」はどのように形成されたのだろうか。
豊臣秀吉が大阪に運河を掘ったのは遥か昔のことで、そこから周辺に人が集まって住み着くようになった。そして、江戸幕府は大阪の交通の便の良さに目をつけ、商業の中心として、経済発展を促進した。大阪は幕府直轄の都市となった。しかし、その後、幕府の大名らが次々と江戸(今の東京)に移り住んだために、大阪は幕府の支配が思うように届かない自治地域となり、「厳しい幕府との上下関係」も薄れていった。つまり、大阪は平等な社会になったのである。そして、この平等は結果が平等と言うだけではなく、自分から動けば必ず成果を出せる「チャンスの平等」にも繋がった。
商人気質がお笑いの才能を育てた
「上下関係」がなければ、建前と本音という「裏表」のルールが存在せず、人に媚を売る必要もなく、権力の存在を気にする人は少なかった。大阪の人は平等な競争や個性の発展を重要視し、「自分自身が良いと思うものは良い」という精神を持っていた。そのため、大衆文化に対する評価も率直で、選り取りみどりの文化が咲き乱れた。他にも、商売が上手な大阪人は顧客の信用を得るために、商品を勧める時の人を魅了するほどの実に巧みな話術を持っていた。芸術の交流が盛んに行なわれ、人を楽しませる才能もここから培われたといえる。『大阪のお笑い』の著者はこれに対し、「大阪の商人は皆、口が達者なのだ。それに比べ、上下関係がはっきりしている江戸の人は口数が少なく、誠実で簡単に笑ったりしないのだ」と述べている。
以上のことから見ても、大阪は昔から大衆文化が非常に発達している地域である事が分かる。大阪の人は皆、「言葉巧みで口が上手く」、「人付き合いに長け」ている。それに比べて、東京の人は「クール」を装っているところがある。このような、「言いたい放題」の商人気質と「力関係が重要視されない」環境がユーモアのある大阪人の根っこにあるようだ。そこから「大阪人=お笑い」というイメージが生まれたのである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年2月29日