「道路を横断する時は、赤信号で立ち止まり、必ず横断歩道を渡る。車を運転している時は、割り込みや車道占有を避け、通行者にクラクションをむやみに鳴らすことは控え、走行中はヘッド・ライトを消す。並んでいる列には割り込まない。エスカレーターに乗る時は、急ぐ人のために右側に乗る。バスや地下鉄の車内では、積極的に席を譲る。公共スペースでは電話で大きな声で話さない。『有難うございます』と『申し訳ありません』を口癖にする。絶対に他人を陥れるようなことはしない。このような事を中国で実行できて初めて、その人は『貴族』と呼ばれるに値する」-----。「微博(ミニブログ=中国版ツイッター)へのこの投稿は、わずか数日間で3万6千回転送され、ネットユーザーの熱い論議を巻き起こした。北京日報が報じた。
▽争点 「金持ち」イコール「貴族」か?
ミニブログで取り上げられた「貴族」という言葉について、ネットユーザーの解釈はさまざまだ。ある人は、「いくつかの基本的な道徳ルールを守れば、貴族になれるという意見は、あまりにも短絡的すぎる」と主張した。
焦点となっている「貴族」とは、精神的な面での貴族を意味しており、かなり高い道徳的素養を備え、自分の言行について厳しい自己基準を持っている人を指す。このような見方をするネットユーザーはかなり多い。「@五哥_評」さんは、「今から1100年前の聖人は、『悪は小なるを以てこれを為すなかれ、善は小なるを以て為さざるなかれ(悪事は、たとえどんなに小さな事でもしてはならない。善事は、たとえどんなに小さな事でも、しようと心掛けよ)』と論破した。この精神は、今もなお、『貴族』の条件に当てはまる」 と指摘した。これに対し、「@護快楽天使ILY」さんは、「貴族は、金持ちの特権ではない。貧乏人でも貴族になることは可能だ」とコメントした。
▽呼びかけ 精神貴族を目指そう
文字数制限のあるミニブログには、投稿者の美しく善きものに向かう気持ちと他者への呼びかけがあまねく表現されている。ベテランジャーナリストの石述思氏は、自身のブログで、貴族と富豪の違いついて、「昔から、本当の貴族とは、文化の伝統を守り、礼儀作法を重んじ、修養にいそしみ、文明を発揚するエリートを意味していた。自分一代では使い果たせないほどの財産を持つ者を、貴族とは呼ばない」との見方を示した。多くのネットユーザは、精神的貴族になることを呼びかけている。「@安然2012」さんは、「ベントレーを運転しながらミネラルウォーターのボトルを窓から投げ捨てている限り、貴族にはなれない」と書き込んだ。「@博浪沙」さんはこれについて、「道徳的な意味での貴族は、財産を持っているだけの貴族に比べ、ずっと価値ある存在だ!」とコメントした。
「人民網日本語版」2012年11月19日