「日本には恋人たちが生死の別れをするという話で恋愛を描く小説が多いが、これは日本の小説が愛情を表現する文化の一つなのか」という質問について、「近代文学では、日本に限らずヨーロッパの文学などでも、『恋人との死別』を描く小説は多い。日本の源氏物語でも、主人公の光源氏と恋人の死別が大きなテーマになっているが、源氏物語から今まで、日本にそのような文学の伝統があるというわけではない」と片山さん。また、「純愛文化の発展のプロセスや変化」について、「私たちの生活は千年前と比べるとまったく変わっているが、純粋な愛は千年前、二千年前と基本的に変わっていない。私たちの精神世界、心の中にはいろいろな新しいもの、古いものが折り重なっているが、純愛文学は古い人間の不変的な感情で、私たちははそういう気持ちを描こうとしている」と語った。
「相手が病気で亡くなるという恋愛小説は、日本と韓国で読者たちの捉え方がまったく異なる。日本の小説では、相手が病気にかかって亡くなることを知ってから、韓国の主人公と同様に悲しむが、将来の生活や人生に勇敢に、積極に立ち向かう。この二つの違いが現れるのはなぜか、日本人の生死観によるものか」という質問について、片山さんは「私は小説の中で、大切な人が亡くなるということを通して、ある意味で主人公を成長させたいと考えている。成長と言えないまでも、内面的に深みが出てきたり、広がりや奥行きが出てきたり、陰影が出てきたりすることなどを描きたい。韓国人の生死観はよく分からないが、日本の現代文学の中で、『死』というのは非常に強敵なものになっている。『死んでしまう』とは『無になる』ということで、現代の日本人は来世、天国、魂など科学的なことを信じていない人がほとんどで、大切な人を失っても、自分の残る人生に賭けるしかないという考えがある」と話した。