1943年10月、製糸工場に勤労動員された女学生。
14年間の戦争期間中、日本女性は個人としてではなく、様々な婦人団体を通じて狂気じみた戦争体制に巻き込まれていった。侵略戦争の激化や拡大に伴い急激に膨らんだこれらの婦人団体は、政府の意向の下で設立され、政府や軍隊の直接的な指導を受け、ファシズム的性質を帯びた、軍国主義婦人団体であった。
これらの婦人団体は、日本国内で女性を組織的に動員し、様々な軍事援助を行い、戦時経済と歩調を合わせて資源回収や愛国貯金、生活改善、家庭報国などの“銃後奉公”活動を行った。日本女性は様々な方法で国内経済の維持のために働き、戦時体制を支持した。これは、客観的に見て、日本の軍国主義による中国侵略戦争という悪事の共犯である。
軍国主義による侵略戦争中、日本女性が戦争の犠牲者や被害者であった以上は、侵略された国家からすれば、侵略戦争の間接的参加者、支持者、共犯者でもあるのだ。