中国の民族政策と各民族の共同繁栄と発展

五、少数民族と民族地区の経済社会の発展を加速させる


各民族の共同繁栄と発展を堅持することは、中国の民族政策の根本的な立場である。

『憲法』は「国はあらゆる努力を尽くして、全国各民族の共同繁栄を促進する」と規定している。『民族区域自治法』は一歩進んで上級国家機関が民族自治地方の発展加速を支持、援助することは法的義務であると明確に規定している。多年来、国は少数民族と民族地区の経済社会の発展加速を支えることを国家の発展・建設の重要な内容とし、政策や措置を引き続き公布し、少数民族と民族地区の発展を支持している。

新中国の成立以前、ほとんどの少数民族地区の生産力レベルは非常に低く、経済社会の発展がかなり立ち後れ、インフラ施設の建設が非常に後れていた。当時の新疆には鉄道が全くなく、チベットには一本の自動車道路もなく、雲南山間部の一部の少数民族の外出や運送は駄馬キャラバン、象、谷間にかかった渡り綱に頼らなければならなかった。少数民族の大衆は主に在来の農業と牧畜業に従事し、一部の地区はまだ「焼畑農業」の原始的状態にあり、鉄器が広く使われずまだ木器、石器などを使用している地区があった。少数民族大衆の暮しは非常に苦しく、特に広大な山岳地帯や砂漠地区の少数民族は、ほとんど十分な衣食がなく、毎年のように数カ月間は食糧が尽き、飢えと寒さをしのぐために、木の実を食べ、蓑を着なければならなかった。少数民族の発展はひどく阻害され、絶滅に瀕する民族もあった。例えば新中国成立当初、ホジェン族は300人しかいなかった。新中国の少数民族と民族地区の経済社会の建設は、このような極端に立ち後れた基礎の上で発足したのである。

中国共産党と中央政府は少数民族と民族地区がより速やかに発展することを終始支持し堅持してきた。新中国が成立した初期、中国政府は各民族人民の貧困脱却、生活向上を一連の根本的な任務とした。20世紀70年代末に改革開放政策を実施して以来、国は経済建設を中心とし、発展を第一の要務とし、活動の力強さを絶え間なく強化し、さまざまな重大な措置をとり入れ少数民族と民族地区の発展を加速させている。多年来、少数民族と民族地区は終始自力更生、刻苦奮闘の精神を発揚し、国の支持、発達した地区の支援と自身の努力を結び付けることを堅持し、国の優遇政策と自身の強みを発揮することを結び付け、奮い立って向上に努力し、自らの両手で美しい故郷を建設している。全国各民族人民の一致した団結と奮闘を経て、今日では少数民族と民族地区の経済社会はたえず新たな段階に飛躍し、経済的に貧しく、文化的に立ち後れている状態から徹底的に脱却し、人びとの生活は歴史上で最もよい時期に入っている。

建設項目を優先的に実施し、たえず発展の基礎を固める

新中国が成立した初期、国は民族地区のインフラ施設の建設を非常に重要な位置に据えた。1952年、中央政府は『少数民族地区の5カ年建設計画に関する若干の原則的な意見』を公布し、一部の民族地区で鉄道の建築、自動車幹線道路の建設、道路と橋の補修・補強、郵政・電報・電話・通信システムの確立を企画した。「一・五計画(第1次5カ年計画)」(1953~1957年)期間、国は新たに8本の鉄道幹線を敷設したが、そのうちの蘭新鉄道(蘭州―新疆ウルムチ)と包蘭鉄道(包頭―蘭州)などを含む5本は民族地区に建設されたかまたは民族地区と連結している。世界に名を馳せる康(川)蔵道路(四川・チベット)と青蔵道路(青海・チベット)は、ともに1954年に開通し運営を始めた。60年代には、成昆鉄道(成都―昆明)、湘黔鉄道(湖南省長沙―貴州省貴陽)、枝柳鉄道(湖北省枝城―広西チワン族自治区柳州)および滇蔵道路(雲南省下関市―チベット自治区マルカム県)などを建設した。1962年、蘭新鉄道のレールがウルムチまで伸び、新疆の鉄道がない歴史に終止符が打たれた。改革開放政策の実施後、南昆鉄道(南寧―昆明)、内昆鉄道(内江―昆明)、南疆鉄道、ラサ空港、蘭州・西寧・ラサの光ファイバープロジェクト、寧夏揚黄の灌漑プロジェクトなど一連の重点プロジェクトがちくじ建設され、民族地区の交通、通信などのインフラ施設と生産・生活条件が大いに改善された。

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