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「文字を教える」から人材資源大国へ
発信時間: 2009-08-21 | チャイナネット

1977年12月10日、570万人の受験生が北京や全国各地の大学の入試会場に向かい、その年、27万3000人が大学に合格した。1978年の夏には、610万人が大学を受験し、40万2000人が合格した。

これで、「文革」によって10年も中断していた大学入試は、やっと正常な軌道に戻った。大学入試の復活は、多くの青年たちの科学や文化を学びたいという情熱をかきたてただけでなく、中国の教育に生気と活力をもたらし、全中国を活性化し、社会の風潮やライフスタイルも変えた。このため大学入試の復活は、中国の「改革・開放」のメルクマールの一つとされている。

1977年に大学入試が復活した。清華大学で授業を受ける同年入学の学生たち(新華社)

それ以後、中国の高等教育はずっと着実に発展した。1999年になると、大学の新入生募集定員は、前年より51万3200人多い159万6800人になった。これは、21世紀の中国の経済・社会が発展するうえで必要とされる人材の需要に応えるためであり、また自分の子どもに高等教育を受けさせたいという多くの人々の願いに応えるためでもあった。と同時に、教育面での消費を増やして内需を拡大し、教育関連産業の発展をもたらし、当時のアジア通貨危機に対応することをも考慮したのである。

その後、各大学はさまざまな困難を克服し、毎年、募集定員の拡大を続けた。2007年末まで、全国の1908校の大学が566万人の新入生を迎え、在学している大学生は2700万人に達し、世界第1位となった。大学進学率は約23%になった。また高等教育を受けた人の数は7000万人を超え、世界第2位となった。現在、中国の大学教育は、すでにエリートの育成段階から大衆化の段階に突入した。中国は人口大国から人材資源大国になった。

大学入試再開の翌年である1978年に、中国では6万5300人が大学院を受験し、1万300人が合格したことも触れておかなくてはならない。その後、中国は毎年、大学院の修士課程と博士課程の募集定員を拡大し続けた。

大学院生の教育は、国のために大量のハイレベルな人材を育成し、中国の教育や科学研究、さまざまな事業の発展に重要な役割を果たしてきた。北京大学中国言語・文学学部の陳平原教授は、1978年に中山大学に合格し、卒業後、北京大学の大学院生となった。現在は中国現代文学の研究家として、10人以上の国内外の博士課程の院生を指導している。

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