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「文字を教える」から人材資源大国へ
発信時間: 2009-08-21 | チャイナネット

海外留学で育つエリート

1978年6月23日、鄧小平氏は、当時、国務院副総理であった方毅氏や教育部(省)の指導者、清華大学の学長に対しこう述べた。「私は留学生の数を増やし、主に自然科学を研究させるのに賛成です。幾千幾万でも派遣しなければなりません。10人とか8人とかを派遣するのではなく……これは5年以内に効果の出る、わが国の科学教育レベルを高める重要な方法の一つです」

湖北省武漢大学は東湖と珞珈山に囲まれた美しい環境の中にある

この発言は「文革」時代の鎖国を否定するものであった。「文革」の10年間に、10億近い人口を有する中国が派遣した留学生は、わずか21カ国、337人であった。鄧小平氏が留学生派遣の拡大を打ち出したことが、海外留学ブームを呼び起こしただけでなく、中国が国の門戸を開くというシグナルを、中国自身にも世界にも発したのである。だからこれを、中国の対外開放の前奏曲と言う人もいる。

その年の7月、北京大学の周培源学長は団を率いて米国を訪問し、1978年度と1979年度に、500~700人の留学生、院生、派遣研究者を米国へ送る協定を結んだ。続いて英国やエジプト、カナタ、オランダ、イタリア、日本、西ドイツ、フランス、ベルギー、オーストラリアなどの国々とも留学生交換の協定が次々に結ばれた。後には、国家派遣の公費留学生以外にも、私費留学の学生たちが相次いで海外に留学した。

「改革・開放」が始まって30年間で、中国の海外留学生総数は121万人に達した。彼らは苦学しながら外国の進んだ科学技術と文化や管理などの経験を学んだ。その中の32万人は、卒業後帰国し、多くの人がさまざまな職場で重要な職務を担当したり、科学研究に貢献したりしている。

例えば教育、科学研究の分野では、大学学長の77%、中国科学アカデミー会員の84%、中国工程院会員の75%、博士指導教官の62%が海外留学の経歴を持っている。その中には全人代常務副委員長の路甬祥氏や陳至立女史、中国工程院院長の徐匡迪氏ら国家指導者になった人もいる。

2008年2月、北京で催された春季国際有名学校留学展には、10カ国以上の、100以上の高校と大学が参加した

海外留学から帰国し、「海亀」とも「海帰」とも呼ばれるエリートたちは、自ら創業して優れた業績をあげている人も多い。鄧中翰さんはその代表と言えよう。鄧さんは1992年に米国に留学し、5年間で修士の学位を二つ、博士の学位を一つとった。1999年にシリコンバレーから帰国し、「中星微電子有限会社」を創設した。彼が指導して開発した「星光」デジタルマルチメディア・チップは、コンピューターの画像入力チップの世界市場で60%以上のシェアを占めており、国内外の有名企業に大量に採用されている。

新中国が成立してから60年、とくに「改革・開放」以来、中国は成人教育や職業教育、特殊教育、国際教育協力などの面でも、注目すべき成果を収めてきた。

もちろん、経済・社会の発展や、より高い教育を求める人々の要求の高まりにともなって、中国の教育にはさらに多くの問題が出てきている。例えば、大学が募集定員を増やした後、どのように教学のレベルを高め、質の高い教育を保証するか、また、毎年600万もの大学卒業生をどのようにして就職させるのか――こうした問題について真剣に検討し、実行していく必要がある。

 

「人民中国インターネット版」より2009年8月21日 

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