1983年、中国外交部が報道官制度を創設以来、これまで計22人の報道官が国内外メディアのスポットライトを浴びてきた。改革開放を受けて、初めての世界に向けた中国の「外交の窓」として、彼ら・彼女たちの風格は様々であり、世の人々に深い印象を与えてきた。「中国新聞網」が伝えた。
▽外交部報道官第1号
1983年3月1日、当時外交部新聞司の司長を務めていた斉懐遠が、中国最初の報道官として、国内外メディアの前に姿を見せた。
もっとも、「外交部報道官第1号」を語るとき、同時に一人の人物の名前が思い浮かぶ。銭其チンだ。1982年3月、外交部本部建物ロビーで、国内外メディアの記者数十人に囲まれた当時の新聞司司長の銭其チンは、ごく短い声明を発表した。声明を読み終えると、質問はなく、また回答もなかった。この会見は非常に短いものであったが、外交部報道官の歴史の先鞭(せんべん)をつけたものとなった。
さらに銭其チンは、外交部報道官の中でも、国務院副総理という最高の地位を最後に中国政界を去った人物として知られている。彼の「外交部報道官」としての「任期」は最短で、わずか数分間だった。
「人民網日本語版」 2008年10月24日