しかし、小沢氏はここ20年間日本政界で勢力を誇ってきたものの、首相の地位とは縁が無かった。小沢氏は1991年に首相になるチャンスがあったが、健康上の理由から金丸氏の推薦を断った。1993年、首相になる意図はなかった小沢氏は細川内閣を「製造」した。そして2009年、首相の座が見えてきたというときに、金銭トラブルで辞職に追いやられた。今回の党首選挙は、小沢氏が権力のトップを目指してしかけた攻撃だったが、失敗に終わった。小沢氏の民衆における支持率が低い原因に、同氏の改革主張が多くの人の既存の利益に触れること、そして政治資金のあやふやさがある。
小沢氏が日本の政界で様々な分裂や合併を行ったのは、権力のために他ならないという人もいるが、同氏には明確な政治的主張がある。湾岸戦争期間中、小沢氏は自衛隊の海外派遣を推進した。1993年には「日本改造計画」という本を出版し、日本が「普通国家」となることを提起した。ただ、小沢政治の傾向も変わってきており、最近では、日本は米国に服従する必要はないと語ったり、中米日の正三角形論を主張している。
小沢氏は現在問題に直面しているが、日本の政界は同氏がまたいつか機会を待って動き出すだろうと見ている。国民新党の亀井静香代表も、「小沢がキバをむいたら大変なことになる」と語ったことがある。小沢氏は、前回鳩山氏とともに辞職したときも、今回の党首選挙敗退に際しても、何度も「一兵卒」という言葉を使い自分を表現してきた。「一兵卒」とは、彼の「捲土重来」に向けた宣言だと言えるだろう。
「人民網日本語版」2010年10月15日