中華民族の近現代史は「祖国を滅亡から救い、民族の生存を図る」の一言で表現できる。抵抗を生んだのは抑圧であり、民族解放運動の硝煙を立ち昇らせたのは列強の砲火であり、鎌と斧の紅旗を掲げさせたのは国が滅び民族が絶滅する危険だ。
「身分は低くとも憂国の念は忘れず」----。1921年、中共はわずか50数人の小政党として創設された。嘉興・南湖の上の小さな火が宿していたのは、ただ憂患だった。中国共産党は憂患から生まれたのである。
憂患の中で生まれ、憂患の中で成長する。中国人は忘れることはない。中国共産党とその革命軍が非常に困難な長征を成し遂げ、共産党員が内憂外患の極度の苦境の中で、かえって最も自信ある力を見出したことを。「六盤山上の高峰、紅旗西風に漫かに捲かる。今日長纓手に在り、 何の時か蒼龍を縛住せん」----。中国人はなおさらに忘れない。毛沢東が1949年の第7期党中央委員会第2回全体会議での演説で、全党に対して勝利を前に冷静さを保ち、全国政権奪取後に執政の試練に耐え抜くよう指示し、「同志達に引き続き謙虚・慎重・驕らず焦らずの姿勢を維持させなければならない。同志達に引き続き刻苦奮闘の姿勢を維持させなければならない」と指摘したことを。中共史上有名なこの2つの「させなければならない」がはっきりと示しているのも、やはり憂患意識だ。
「天下の憂いに先んじて憂う」----。1949年に中共はすでに400万人以上の党員を擁する政党となり、強力な軍隊を備え、天下の人々が帰服していた。中国共産党は深い憂患意識を胸に新中国建設の偉大な道程を歩み始めた。
瞬く間に60年余りの歳月が過ぎた。中国共産党の偉大な功績は民族復興の偉業の上に刻まれている。世の中が大きく変化する中、中国共産党は人民に奉仕するという本領をなくさず、憂患意識も捨てなかった。問題を見て、分析し、解決する。これは憂患意識を持つ者にとって当然のことだ。人民から生まれ、人民に根差し、人民に奉仕する。これは試練に対処し、危険を取り除く上で根本的な道だ。
「危機の生じる原因を常に考えれば平安を保つことができ、騒乱の生じる原因を常に考えれば太平を保つことができ、滅亡を招く原因を常に考えれば生存を保つことができる」----。2011年、中共は党員が8000万人を超え、中国人民を指導して巨大な富を創出し、古い歴史を持つ中国は現代の輝きに溢れ、中華民族は偉大な復興へと歩んでいる。このような歴史の時期にあって憂患意識を強調する中国共産党は、尊敬すべき度量、望ましい視野、期待できる行動を備えている。
「人民網日本語版」2011年7月11日