リビア危機は最後の決定的段階に入っている。転換期の様々な敏感な問題への注目と同時に、リビアの今後の発展路線により多くの視線が向けられている。
西側の一部の人々はリビアの戦乱を「アラブの春の延長」と表現している。だがこのような春は永遠に続かないということも認めざるを得ない。春の後に来るのが夏と秋なのか、それとも直接冬に突入するのか、誰にも正確な予測はできない。こうした不確定性はこれら西アジア、北アフリカ諸国の直面する本当の試練に端を発する。つまり自国の国情に適した発展の道をいかにして見出すかだ。
現代世界では発展が主流であり大局だ。この点は西アジア、北アフリカで特に顕著だ。流動的な情勢に過激派が勢いを盛り返さないか、あるいは部族間の対立が激化しないかは確かに懸念事項だ。だがより本質的意義を持つのは、いかにして発展によって無数の民衆を満足させるか、特に若い世代の変革への期待に応えるかだ。
正しい発展路線の選択は容易なことではない。経済グローバル化のたゆまぬ進行に伴い、ある国は発展し、ある国は苦境に陥り、またある国は後退している。鍵となるのは、その選択した発展路線が歩むに適していたかどうかだ。最初に解決せねばならない問題が政治体制だ。西アジア、北アフリカの現状に、そのまま適用できる既存モデルはない。
西側は西アジア、北アフリカの発展の行方を主導しようとする企てを放棄していない。主導権は自ずと経済的利益に関わってくる。リビアの戦火が終息しないうちから、西側の石油会社は激烈な争奪戦を始めている。西側がその政治理念を入念に広め、地域各国の政治体制再建に直接干渉していることにも目を向けるべきだ。ある学者は、西アジアと北アフリカで生じた変化は西側の地政学的戦略のなせるわざだと指摘する。実際のところこれは、国際政治・経済秩序を長年来主導してきた西側の地位の慣性的な表れである。長年来、西側の力は経済のみならず、理念に具現化されてきた。西側色の濃い多くの物事がこのために「普遍的」「必然的」とされてきた。特にいわゆる「民主体制」方面においてだ。
米同時多発テロ10周年を前に、西アジアと北アフリカの政治体制再建について議論することには現実的意義がある。過去10年間に多くの国で政治変革が起きた。外部からの力に強制されたものもあれば、「自発的革命」もあり、内外の力の交互作用の下で実現したものもある。現在のところ、教訓が成果を上回る。その原因の1つが、少なからぬ国が西側の強い影響下で、西側の政治理念に指導されるだけでなく、西側式の「民主体制」を主要目標としたことにある。こうした背景の下では、自国の国情に沿った発展路線を模索したり、自らの文化伝統に適した政治体制を構築しようとするのは非常に困難だ。
歴史は我々に、政治体制と文化伝統が緊密に関係し、特定の政治体制が特定の文化土壌の産物であることを伝えている。人為的に移植するのなら、土壌を改造するか、樹種を変えるしかない。経済グローバル化のうねりに巻き込まれる中、永久不変でいられる文化は一つもない。人類の生存方式は変化しつつあり、文化もそれに伴い必然的に進化せざるを得ない。時代の変遷に順応し、速やかに調整すれば、その国や民族は活力を発揮し、時代の発展の歩みにしっかりとついていくことができる。古い殻に閉じこもり進歩を求めなければ、必ず問題を来たすし、逆巻くグローバル化の大潮の中で片隅に追いやられかねない。だが文化の進化とは単純に自分を捨て去ることでも、盲目的に他者を模倣することでもない。
西アジア、北アフリカ諸国は現在発展の正念場にある。自国の実情に基づき将来の政治制度を設計し、民族和解を最大限実現し、動揺から発展への転換を速やかに実現することが、喫緊の課題だ。処理を誤れば、長期的な動揺・不安定に陥る可能性が高い。アフガニスタンとイラクが如実に物語っているように。
「人民網日本語版」2011年8月29日