軍用ヘリ「楽士文」の前で記念写真を撮る孫文と妻の宋慶齢
孫文といえば、最もよく知られているのは彼が革命のためにたゆまぬ努力をしたことである。実は孫文は、中国民主革命の指導者というだけでなく、中国の航空事業発展の提唱者でもある。氏は中国の航空事業の発展に力を入れた。
1923年、中国初の軍用ヘリが誕生した。ヘリは木製で、時速は120キロに達し、重さ50ポンドの爆弾を4発搭載できた。当時、広州大沙頭空港で行われたヘリの試験飛行には、孫文と妻の宋慶玲も出席した。
「誰かヘリに乗る人はいるか」と孫文が聞くと、宋慶齢は自ら試験飛行に同行すると名乗り出た。試験飛行が成功した後、人々は宋慶齢と握手し、彼女の勇敢な行為に敬服した。その場で、孫文は宋慶齢の英語名からヘリを「楽士文一号」と命名した。(宋慶齢の英語名はROSAMONDEで、「バラの世界」、「輝かしい前途」の意)。
1985年、航空部南昌飛行機製造会社が作った「楽士文一号」の模型。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年10月11日