1980年代の中東ではイランは米国の同盟国、イラクはソ連の主要同盟国だった。だがイラン・イスラム革命が起きると、米国の同盟国はイラクになり、イランはその対立国となった。イラクの対イラン戦争を後押しするため、米国はイラクに大量の軍事援助を行った。数年の長きにおよんだイラン・イラク戦争で両国が無益に疲弊する一方で、米国は地域の均衡を手にした。現在のリビア戦争や中東動乱にも米国の影がつきまとう。イラクは往年の繁栄を失い、リビアも満身創痍だ。
ヨーロッパ人はすでに、こうした歴史から教訓を汲み取り、米国と拮抗するには欧州各国の団結が不可欠なことも理解している。だが米国は欧州の団結を容易には許さない。コソボ戦争によって南欧と北欧の統合は遅れた。米国はコソボ独立問題を未解決にすることで、度々情勢を不安定化させ、自国に都合のよい程度の波風を欧州内陸部に起こした。
東アジア諸国はまだこのことに気づいていない。日本は戦略的余地への圧迫を感じ、躊躇せずに米国の懐へ飛び込んだ。朝鮮問題では、日韓は米国と決然と同盟を結んでいる。南中国海では、東南アジアの一部の国が中国と抗争しようと度々跳び出してきている。
東アジア経済がテイクオフできたのは、過去30年近くの各国の平和共存、共同発展のおかげだ。だがこれによって米国は心の落ち着きを失ったようだ。クリントン長官はある文章で「米国にとってアジア太平洋地域の魅力はその未来にある。アジア太平洋経済区はオープンで、活力に富み、米国の経済回復に広範な投資・貿易市場をもたらした」と指摘している。
米国が最大の利益を得るために東アジア各国の対立を煽ることは、これら全てからすでに明らかだ。さもなくば機会は得られない。米国が中東と欧州で見出した機会は、東アジア諸国にとってまさに汲み取るべき教訓なのだ。
「人民網日本語版」2011年11月9日