民族の復興へと歩む道において、中国人はかつてない誇りと希望を抱くと同時に、チャンスと試練の共存する現実の複雑さを実感してもいる。各国との共同発展を真摯に切望する国がしばしば問題視されるのはなぜか?国が強大になったのに一部の大国や追随者から度々無礼な扱いを受けるのはなぜか?
世界も思案の過程にある。少なくとも一部の人は、中国は大国の覇権争いという古い道を再び歩むのだろうかと考えている。
大国間のパワーバランスの調整と国際構造の転換が、いくつかの不確定性をもたらすことは避けられない。急速に台頭する中国は国際社会の中心へと着実に歩み、外の世界とのつながりを日増しに緊密化し、発言力と影響力を高めている。中国の発展路線を注視し、推測することはさほどおかしなことはなく、理解できる部分がある。
だが中国要因を過度に強調し、大国間の対立・衝突という時代後れの論理を打破する責任を全て中国に押し付けるのは公平でも妥当でもない。
この種の論調には大きな誤りが2つある。
第1に、中国の台頭が引き起こす効果について、時代の大きな背景の下で考えていない。歴史上、国際構造の転換が平和的方法で実現したことは少ない。一方、大国の台頭が対立や衝突を引き起こした例は枚挙にいとまがない。かつての国際関係システムを主導していたのが「ゼロサム思考」であることが、その重要な原因だ。経済のグローバル化と世界の多極化の深い進行に伴い、すでに平和を求め、発展を図り、協力を促すことが時代の本流になっている。時代の本流に対する十分な認識を欠くと、不可避的にゼロサム思考に回帰し、大国の対立と衝突という時代後れの論理の擁護者となる。