中国をめぐる猜疑心や偏見を帯びた報道がロンドン五輪で後を絶たないが、こうした経験は初めてではない。すでに4年前の北京五輪の聖火リレーで中国人は世界に融け込む道がどれほど平坦ではないかを感じ取った。「中国関連の事となるといつも偏見を持つのはなぜか?」中国人には西側世界に疑問を呈すだけの理由がある。(文:張雲・新潟大学准教授。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
まず200年余り前のロンドンに目を向けてみよう。アメリカ合衆国の独立から間もない1784年、独立宣言を起草した米国の政治家、トーマス・ジェファーソンは英国政府との貿易協定交渉のためにロンドンを訪れた。この際ジェファーソンは、米国の革命と現状に対する英大手メディアの報道が余りにも真実からかけ離れ、偏見を帯びていることに気づき憤激した。
ジェファーソンは米国に対する欧州人の偏見を変えよとフランス語の大手新聞・雑誌に発展目覚ましい合衆国を紹介する記事を寄稿したが、効果は微々たるものだった。当時世界の大手メディアは完全に英国人の手中に握られていたのだ。ジェファーソンは独立宣言で、新生米国が国際社会の良き公民になることを約束したが、欧州人の頭の中では米国は依然無政府状態、経済は無秩序、そして国民は素養のない「失敗国家」だった。だが米国人は偏見に気落ちする事なく、憲法の制定、ガバナンスの整備、経済発展、黒人奴隷制度の廃止などを通じて、その後100年足らずで米国に対する偏見を徹底的に改めさせた。
文化、宗教、言語を共有する英米両国間ですらこうだったのだから、現在中国が西側の様々な偏見に直面するのはなおさら不思議ではない。
中国の発展に伴い、耳障りな雑音はさらに増えるだろう。動揺せず、偏見の試練に耐え抜き、正しい批判に耳を傾けることがやはり肝要だ。これは中国が復興へ向かううえで必ず経験する世界の洗礼なのだ。