「上海、上海、湖州、南京、杭州を占領」と書かれた軍旗にはまた「これはありのままの功績」と書かれている。昨日、第二次大戦戦勝記念まであと7日という日に、武漢の戦勝記念品収集家である許一兵さんは、漢口崇仁路の骨董市場で、彼が所蔵している日本軍の中国侵略を証明する文物を披露した。中でもひときわ特殊な「大量虐殺戦功記念旗」 (写真)が眼を引いた。日本軍の暴虐を証明する新たな証拠である。
これは日本軍の1メートル四方の日章旗だ。よくみかける日章旗と違うのは、この軍旗には日本軍が侵略した中国の4都市の名称と時間が書いてあることだ。「上海上陸、昭和十二年十一月二十六日、湖州入城、昭和十二年十二月七日、南京入城、昭和十二年十二月十五日、杭州入城、昭和十二年十二月二十六日。」と書かれている。軍旗の下の目立つところに杭州霊隐寺の大きな龍印が押してある。
許一兵さんによれば、2010年、ある愛好家仲間がネット上でこの日本軍の軍旗を落札したのだという。彼は当時数千元でこれを落札した。この軍旗は愛好家が日本から持ち帰ってきたものだとわかっているという。
日本軍の軍旗には中国侵略のどのような軌跡が残されているのだろうか。2年間、許一兵さんはこの軍旗を研究してきた。彼は日本軍が自分たちの「戦功」を誇っていたことは明白だが、なぜ軍旗に霊隐寺の龍印があるのかは謎だという。
許一兵さんがネットで資料を調べたところ、1937年に杭州が陥落し、大量の難民が霊隐寺に押し寄せたことがわかった。「当時の住職であった却非禅師は、日本軍の傍若無人な横行を見て、寺院の現状維持が難しいと感じ一時的に上海に避難していた。」日本も仏教を信仰する国なのに、なぜ日本軍は霊隐寺の大印を持ち去ったのだろうか?だが、許一兵さんのこの憶測はまだ証明する手立てがないという。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年8月9日