第3に、国際社会に深く融け込んだ中国は、個人レベルの道徳と国際レベルの道徳をいっしょくたに論じてはならないということを銘記する必要がある。中国が現在、平和的台頭を自らの道徳的訴えとして描いていることから見て、国際政治ゲームのルールに対するわれわれの理解は決して深いものではない。現在の国際政治は西側諸国が特定の歴史・文化背景の下で発展させたものだ。従って、全く異なる文化背景を持ち、しかも最近国際体制に融け込んだ中国としては、この2つのレベルの道徳基準を区別することが肝要だ。すなわち個人レベルの道徳規準は仁、義、礼、智、信だが、国際政治レベルの道徳規準は領土、主権、統一、安全、発展を核心とする国益なのである。個人には道義の原則のために身を捧げる権利があるが、国家には道義の原則のために領土、主権、安全、発展の各利益を犠牲にする権利はない。指導者の道徳的水準は抽象的な道徳目標の実現ではなく、国益を促進できるか否かで決まるのだ。
要するに、中国は外国との意志疎通において、国内向けではなく国外向けの思考によって自らの台頭の意義を考える必要が明らかにある。国際政治の道徳と論理に関する西側との違いをわきまえ、国が個人レベルの抽象的道徳原則に従って事を運ぶことのないように努力しなければならない。中国が平和的台頭を実現できるか否かは、主観的願望や一方的な説明と誠意ではなく、それよりも他国が賛同し、受け入れるかにかかっている。平和的台頭の最終的な支えは、自らが平和を守る能力の強化によって生じるのである。
「人民網日本語版」2012年8月13日