中国の伝統的な政治文化は不慮の事態を好まない。大規模な盛典の期間は特にそうだ。物事をより完璧に行うことを中国人は無意識に求めている。だがこれは、中国政治が本当に「事態を引き受けられない」という意味ではない。今年起きた多くの事も不慮の事態だった。道理から言えば、それらは党大会前に起きる「べきではなかった」が、起きたものは起きたのだ。それらは一度は不調と緊張をもたらしたが、最終的には中国政治の弾力性を高めた。
これほど多くの準備をするのは、党大会に良い環境を整えるためだ。だがもし治安などの面で大会期間にそれでもミスが生じれば、どうなるか?小さな事がふだんより重視されるかもしれないが、本当に小さな事なら大事にはならない。
第18回党大会はインターネットが高度に発達した時代に開かれる党大会だ。どのように準備をして、どのように開催するかは、実は中国社会にとって全く新たな経験だ。社会に様々な提案や議論があるのもとても正常なことだ。こうした議論は現在の中国では重大な出来事のたびに生じる。しかもその大きさは出来事の重要性と正比例をなしている。
やはり党大会の内容がより重要だ。歴史が将来記憶に留めることになるのもその内容であり、党大会をめぐる準備の細部についてはすぐに忘れ去られるはずだ。
中国社会の多元化は世論の様相を絶えず変化させる。これは国の政治と公衆の両レベルで徐々に適応しなければならないものだ。中国社会の前進が以前のような整然とした画一的な行進になることはもうない。だが大きな陣形は残っており、潮流と方向も変わることはない。党大会の社会全体に対する呼びかけと結束効果が以前にも増して重要かつ肝要になっている。今後一定期間、党大会が中国の公共生活の最大の中心であることは間違いない。
「人民網日本語版」2012年11月2日